見出し画像

タイガー・ジェット・シンさんを日本政府が表彰


◉タイガー・ジェット・シン。自分らがガキの頃は、とにかく怖いプロレスラーでした。狂気をたたえた目が怖くって。新宿伊勢丹で、アントニオ猪木夫妻を襲撃したりと、本物の狂人かと思ってました。技もコブラクローとか、反則スレスレの技ばかり。実際は、地元カナダではベビーフェイスで、事業でも成功した名士で、実際は紳士的だそうで。職業に徹した、プロフェッショナルですから。

【タイガー・ジェット・シンさんに日本政府表彰 震災被災児へ寄付】毎日新聞

 東日本大震災の発生から10年を迎えるのに合わせて日本政府は25日、被災地の児童に寄付金を送るなど支援活動を続けてきたカナダ在住のプロレスラー、タイガー・ジェット・シンさん(76)に両国友好親善への貢献に感謝する表彰状を授与した。在トロント日本総領事館が開いた授与式でシンさんは「(レスラーとして)49年間過ごした日本は私の故郷。心は被災した人たちと共にある」と語った。
 シンさんは1973年に新日本プロレスでデビュー。サーベルなど凶器を使った攻撃で「インドの狂える虎」の異名を取り、アントニオ猪木さんやジャイアント馬場さん、輪島大士さんらとの勝負で人気を博した。一方、地元トロントでは80年代から子供や医療機関に対する慈善活動を続けた。2010年には社会貢献をたたえ、地元の公立小学校にシンさんの名前がつけられている。

本当はタイガー・ジート・シン(Tiger Jeet Singh)の発音なんだそうですが。jeetはヒンディ語で勝つとか勝利の意味らしいですが。虎勝さん? 寅克さん? シーク教徒とか、いろいろとギミックが入り交じっていますが。初老のオッサンの70年代から80年代の、思い出話をこの機会にしますかね。猪木さんもシンさんも、もうすぐ80代の坂が見えてきましたし。

◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉

■70年代の思い出■

プロレスラーでは、ヒールというのは、他人が嫌がる役を引き受ける訳ですから、外見とは裏腹に良い人が多い。というか、良い人でないとヒールはやれない。逆にベビーフェイスには、わがままで自己中心的な人が多いようですが。両方やるタイプも多く、日本ではベビーフェイスのファンク兄弟も、アメリカではヒールとか、普通にありましたし。カナダはインド系の移民も多く、シン氏は地元トロントではベビーフェイス。

事業でも成功されており、ユダヤ人商人や華僑と並ぶ印僑の成功例のひとつ。新日本プロレスでは、猪木-シン戦はドル箱で、体格的にも猪木さんとは手が合った、好敵手でした。アリ戦で抱えた莫大な借金は、シンとの抗争で完済できたと言われるほど。子供心にも、本当に怖い選手でしたからね。でも、猪木さんからブレーン・バスターで勝利してNWF王座を獲得するなど、正統派のテクニックも持った選手。

■80年代の思い出■

個人的には、新日本プロレスがアブドーラ・ブッチャーを引き抜いたのは、大失敗だと思っています。ブッチャーとジャイアント馬場さんの試合は、完成された能の動きにも例えられるほど、安心して見ていられる世界でした。でも、新日本ではさして輝くこともなく。逆に、馬場さんはシン氏とスタン・ハンセンを引き抜き、新日本のダメージは大きかったです。馬場さんとは、同じフレッド・アトキンスが師匠ですからね。

全日本プロレスでは輝いているとは言えず。スタン・ハンセンにスポットライトは奪われましたし。けっきょくは新日本に戻ってきましたが、往年の輝きは取り戻せず。若手相手には激しい試合をしていましたが、メインエベンターではなくなりましたし。全日と新日の引き抜き合戦は、リアルタイムではワクワクしましたが、選手の輝きを消した部分が大きかったです。ふり返ってみると、ですが。

■そして、今■

ただ、自分にとってプロレスは、昭和の胡散臭さと見世物小屋的なワクワク感があって、馬場猪木の団体での対立、タイガーマスクの四次元プロレス、長州力のプロレス維新、IWGP構想、UWFの台頭、格闘技との対立と、濃い時間を過ごさせていただきました。馬場さんの死と橋本真也急逝、ジャンボ鶴田引退と急逝、三沢光晴急逝で、すっかりプロレス会場からは足が遠のきましたが……。

ここでの知見は、現在の原作者や講師としての仕事の、血肉になっています。キャラクター論、ストーリー論、いろんな意味でプロレウは良くできたエンターテイメントですから。悪役レスラーとしては、タイガー・ジェット・シン氏は自分の中の雛形。いろんな悪役はいましたが、印象が強烈でした。もう、悪役レスラーの看板は不要、事前事業家として、こうやって表彰される。最高の人生です。おめでとうございます。そして、ありがとうございます。

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ