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光市母子殺人事件死刑囚の再審請求棄却

光市母子殺人事件自体は1999年。まだ20世紀のこと。2002年の広島高裁でも無期懲役。しかし、2006年に審理の差し戻しが命じられ、2008年に広島高裁で死刑判決。2012年に最高裁でも死刑判決が出ました。2015年に広島高裁で再審請求棄却、そして特別抗告を棄却決定で、死刑囚の再審請求が認められないことが確定しました。これで福田(大月)孝行死刑囚は、死刑を待つばかり。

長かった……ですね。最高裁の死刑判決で、ひとつ決着がついたイメージでしたが、まだまだ弁護団は動いていたわけで。これ自体は、司法で認められた動きですから、別に批判すべき事ではないです。日本は法治国家ですから。無期懲役でも、本人は実際は7年ぐらいで仮釈放と目論んでいたのが、その3倍の期間を鉄格子の中で過ごし、そしてもう出てくることは適わなくなった。出るときは、死刑が執行され、死体となって出てくるときだけでしょう。

■左派マスコミと弁護団への疑義■

マスコミはやたら少年を強調しますが、彼は犯行時は満年齢で18歳を過ぎており、未成年ではあっても少年法が罪一等を減じて明確に保護する18歳未満ではありません。マスコミによっては、18歳を30日超えただけとか、ア ホ ン ダ ラ な擁護をしていて呆れた記憶が。んなこと言い出したら、際限ないですからね。そもそも、多くの権利関係との整合性から、20歳で成人という部分がそもそもおかしかったわけで。

犯人に関しては、彼の父親自体がそもそも異常な人格を疑わせる言動が顕著で、弁護団が『ドラえもん』や『魔界転生』を持ち出して、責任転化しようとする部分が疑問です。こういう、漫画や小説、あるいは映像などに責任転化する論は、いろんな研究がその因果関係を否定しても、しつこく繰り返されて取り沙汰されます。多少なりとも、創作に関わる身としては、犯人が異常なだけで作品に原因を求めるなと思います。

むしろ、父親の悪しき影響を強調し、度重なるDVで自殺した母親の件を持ちだした方が、まだしも同情が引けたかも……です。死刑囚の父親の言動の酷さは、書くのも嫌なので自己責任で検索してみてください。そう言えば、附属池田小事件の犯人の父親も、他人事のように息子の事件を語っていましたが。加えて、あまりに無茶苦茶な法廷戦術に、安田好弘弁護士らに世論の批判が殺到し、死刑廃止論者の異常性が浮き彫りに。

■死刑廃止論者たちへの疑義■

死刑廃止論もひとつの主義主張です。が、日本の死刑廃止論者が滑稽なのは、舶来上等の出羽守と、政府の権力を削ぐことが自己目的化してしまった左派の、自己主張の道具と化してることでしょう。少なくとも、そういう人達が悪目立ちしている訳で。冤罪による死刑の回避と、そのために死刑廃止の代わりに加算方式の懲役200年とか300年の、完全な終身刑を訴えればあんがい、大衆は受け容れるでしょう。

日本人自体は言霊の国の住人です。死刑はなければないほうがいいって人は多いでしょう。なのに日本の死刑廃止論者は、現行法で対応可能の一点張り。死刑廃止は手段で、真の目的は反政府活動という、本音を邪推させる部分です。ここら辺は夫婦別姓論者も同じで、最近は選択的を強調して、同姓論者を否定していないとか言い訳してたんですが、同姓論者は遅れてるとか本音を吐露するオマヌケさん続出。

ここらへん、ヘッダーに転載したような本音を、一審の無期懲役判決後に友人への手紙で漏らしちゃった福田孝行死刑囚と、同じですね。ある意味で、これが福田孝行死刑囚の狡猾な人間性を白日の下にさらし、死刑への決め手になった部分も。再犯の可能性を強く疑わせた。類は友を呼ぶとは言いますが、死刑廃止論者と夫婦別姓論者と福田孝行死刑囚は、相通ずるモノがあるのかと、皮肉のひとつも言いたくなります。

■復讐法としての近代法■

「彼を死刑にしても、亡くなった人は戻ってこない」などと、手垢がつきすぎて真っ黒な受け売りを、未だに繰り返す人がいますが。死刑は死者を生き返らせるために行うのではありません。遺族や関係者の復讐を代行するのであり、亡くなった人は戻ってこなくても、遺族の復讐心は満たされます。被害者遺族が強く死刑を求めている以上、法に照らして死刑が下されたなら執行されるべき。

近代法は、ハムラビ法典(ハンムラビ法典)をルーツとした、復讐法にルーツを持ちます。復讐というと前近代的に思えますが、そうではありません。目には目を歯には歯を、で知られるハムラビ法典ですが、目を潰されたから命を取るような、過剰な復讐を禁じる法律です。逆に言えば、復讐は等価であるべきということ。二人の命を奪った人間が等価で償うべきは、己の命以外にないわけです。

もし福田孝行死刑囚が、生後11ヶ月の長女を殺していなかったら、遺族の復讐心はずいぶん違っただろうなと思います。旦那さんも、子供の成長が生きる目的になり、日々の忙しさに復讐心も薄れたかも。状況的にも、赤ん坊まで殺す必然性はなかった訳で。福田孝行死刑囚が娘まで殺してしまったため、遺族の時間は止まってしまった。そして反省がただのポーズで、再犯の可能性を強く疑わせる手紙が決定打に。

■90年代の後始末■

福田孝行死刑囚も、もう39歳。更生の可能性とか、そんなものを論じる年齢でもなくなりました。だいたい、殺人罪でも15年ぐらいで仮釈放されていた時代が異常。現在は無期懲役がようやく、仮釈放まで30年ぐらいの相場になって、正常化しましたが。ジョン・レノンを暗殺したチャップマンは、40年間収監されています。死刑廃止なら、仮釈放なしの終身刑の制定が最低条件でしょう。

自分なら、先ずは仮釈放なしの終身刑の制定で先ずは死刑を廃止し、その次に収監50年で仮釈放に法改正しと、二段階で死刑制度を骨抜きにしますけどね。受験エリートの机上の空論に過ぎない二段階革命論より、よほど現実的だと思うのですが、原理主義者となってしまっている死刑廃止論者の皆様には、受け容れがたいのでしょう。現行法で対応可能の一点張りで、何十年も現実を動かせなくても、自己満足してられる、と?

ところで市川一家四人殺人事件が1992年。大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件が1994年。神戸連続児童殺傷事件が1997年。光市母子殺人事件が1999年。西鉄バスジャック事件が2000年。全部、未成年の重大犯罪です。オウム真理教の地下鉄サリン事件が1995年ですから、90年代ってつくづく異常でしたね。五島勉氏の、ノストラダムスの大予言の悪影響とは、言いたくはないですが。
どっとはらい


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