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北海道新聞の記者逮捕調査結果の支離滅裂

◉トカゲの尻尾切りと言うには、あまりにおかしな内容ですね。「報道の自由だ!」で吹き上がった界隈の擁護論が、各方面からボッコボコに叩かれて、組織防衛に走ったのでしょうけれど。「彼女に指示したのは私だ、責任は私が取る」という上司がいない時点で、会社の体質がわかりますね……。

【北海道新聞の女性記者、取材中逮捕 調査結果「情報共有に問題」】産経新聞

北海道新聞社は、女性記者が旭川医科大で取材中に建造物侵入の疑いで逮捕された経緯などを7日付朝刊に掲載した。関係した記者らの聞き取り調査で把握した事実経過を説明し、情報共有や記者教育に問題があったとの見解を示した。
 記事によると、逮捕された入社1年目の記者は6月22日、旭川医大の学長解任を審査する会議を取材。新型コロナウイルス感染対策のため、大学側が構内への立ち入り禁止を報道各社に通知する中、先輩記者が校舎内に入るよう指示。記者は会議が行われているとみられる4階の部屋を見つけ、ドアの隙間にスマートフォンを近づけ無断で録音した。会議室から出てきた職員に見つかり曖昧な返答を繰り返したため、身柄を旭川東署に引き渡された。

ネットでは発表せず紙の記事のみで、拡散を少しでも抑えようという魂胆かもしれませんが、そういうせこい行為は見透かされて、かえって拡散されてしまうんですが。沖縄タイムス社などの失敗に学んでいないですね。

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■組織防衛というか保身?■

これ、上司の命令があったとすると、組織ぐるみの犯行ということで、もうちょっと責任の範囲が大きくなるでしょうね。なので、上司の指示があったが、誰が指示したかはわからない、とのこと。そんな調査能力で、盗聴しても無意味ですねと皮肉をかまさせていただきます。これで、記者が懲戒免職になることはないでしょうし、社内の軽い処分で済ませて、内々ではそれなりにケアをするでしょうけれど。対外的には、非常にみっともない組織保身というイメージですね。

もし世間の同情を集めるならば、直属の上司か部署のトップが「自分が新人の彼女に指示しました。責任はすべて私にあります」と宣言し、辞表を出すぐらいの行為に及べば、あるいはお仲間の左派マスコミが褒め称えるでしょう。どうせ辞表を出しても、フリーの記者として北海道新聞やその系列会社、あるいは関係の深いマスコミなどから、仕事は回ってくるのですから、50代の上司を依願退職にして、裏では退職金を割り増すぐらいで、早期退職制度みたいなもの。

【鯨肉窃盗、グリーンピース2人に有罪判決】日経新聞

調査捕鯨船の乗組員が自宅に送った鯨肉を運送会社から盗んだとして、窃盗と建造物侵入の罪に問われた環境保護団体「グリーンピース・ジャパン」のメンバー、佐藤潤一被告(33)と鈴木徹被告(43)の判決公判が6日、青森地裁であり、小川賢司裁判長はそれぞれに懲役1年、執行猶予3年(ともに求刑懲役1年6月)を言い渡した。

弁護側は「乗組員による鯨肉の横領を捜査機関に告発するため、一時的に持ち出したにすぎない」などとし、被告らに不法領得の意思はなく、窃盗罪には当たらないとして無罪を主張。

検察側は論告で「配送途中の荷物を盗むという被告らの行為には、手段としての相当性が欠けており、捜査機関に捜査を委ねることもせず、安易に犯行に及んだ」と指摘していた。

■法は貴人に及ばずの人治主義■

以前から書いていますが、この新聞記者の傲慢と特権階級意識は、左派全体の問題。自分たちがネットで拾った情報・腹の底ではバカにしている雑誌の情報を元に、記事を書いてるのに何なんでしょうね、この思い上がりは。タブロイド紙である日刊ゲンダイはもちろん、ある意味でイエロージャーなリスムですと居直ってる東京スポーツでさえも、時々この「ワレワレハキシャサマデアル」との傲慢が見えますね。

それが端的に出たのが、福島瑞穂社民党党首の内縁の夫である海渡雄一弁護士が理事長を努めていた、グリーンピース・ジャパンの『グリーンピース宅配便窃盗事件』であることは、しつこくしつこく書いていきたいです。ただの捕鯨船乗組員のお土産の分配を、秘密裏におこなわれている横領・横流し行為だと勝手に想定し、犯罪を犯したのですから。まさに〝正義の暴走〟です。それで無罪を主張する、厚顔無恥と傲慢不遜。覚悟のなさ。日本のリベラルのダメさの本質は、ここです。

■表現規制はと通底する問題■

けっきょく、今回の騒動で浮かび上がったのは、新聞記者が自身を方の埒外にある特権階級、一時期はやった言葉で言えば上級国民だと思ってるという事実。「報道の自由のため、前科がついてもそれは甘んじて受ける」というのではなく、俺達は正義を実行する上級国民なんだから、多少の違法行為は見逃せと、そう言ってるのですから。つまり「法は貴人に及ばず」の人治主義の考えかた。でもこれって、表現規制派にも通底するんですよね。

法によらないお気持ちによる規制とは、要は自分に法に匹敵する権威や権力をよこせと言ってるに等しいのですが、それがわからない。当たり前のように疑義や批判が殺到したら、こんな事を言っています。いやいや、疑似科学のマルクス経済学を科学だと勘違いして研究した人も、パーリ語の原典から仏教経典を翻訳したオウム真理教の信者も、自分は世のため人のため後世のために研究したと、そう思っていますよ?

いやはや、強がりもここまで来ると、哀れですね。せいぜい頑張ってください、としか。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ