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根本陸夫のチーム立て直し手法

◉日本ではトレードというと、監督批判や首脳陣批判、球団批判で出される、というイメージが強いですね。内と外の論理で、ある種のコミュニティからの追放という懲罰の側面が。その点で、寝業師と呼ばれた根本陸夫氏の仕掛けたトレードは、両球団にとってメリットがあるように、よく考えられたモノでした。内容もまさに大型トレードという感じで、他球団や評論家も驚く内容でした。

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 プロ野球のトレード話というのは、だいたい突然勃発する。そして野球ファンを「え?」と驚かせるものだ。
 巨人の田口麗斗とヤクルトの廣岡大志のトレードも3月早々、私たちを「え?」と言わせた。でもこの「え?」は、プロ野球のストーブリーグのだいご味でもあったのだ。

小山-山内の世紀のトレードはともかく、個人的には根本陸夫さん絡みのトレードは、球団経営という点でも、非常に興味深い内容でしたし。昭和のオッサンの記憶装置という点でも、ちょっとアレコレ書いてみますね。

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■根本陸夫のチーム再建3本柱■

根本陸夫さんは広島東洋カープ、西武ライオンズ、福岡ダイエーホークスの3球団を立て直したことで有名ですが。その場合、先ず自分が監督として現場の状況を知る。ここら辺は、武士達にいろんな作業をさせて現場の問題を皮膚感覚で会得させ、改革を推進した上杉鷹山に似ています。その上で、GM的な立場──経営者と現場を繋ぐ役割───で、的確な補強を行ったわけです。

その方針は明確で、新人育成・トレード・外国人選手の3本柱。新人獲得に関しては、裏口入学と他球団に言われるほどに、違法スレスレの手段も使って強引に獲得します。西武ライオンズの管理部長時代は、球団職員として採用してから獲得した伊東勤捕手とか、プリンスホテルの社会人野球チームを使ったワンクッション置いた入団、密約が囁かれるプロ入り拒否からの入団合意とか多数。これはホークス時代もそうですが。

外国人選手は、当たり外れはありますが、郭泰源投手やデストラーデ選手など、スゴい選手を獲得していましたし。海外スカウトなどの活用も、上手かったですね。根本さんの強みは、情報網の広さ。それは、面倒見の良さから来る信頼関係で、これはホークスのスカウト陣にも、受け継がれていますね。スポーツ用品店のオーナーの言葉を信じて、スカウトが見に行った千賀滉大選手とか。足で稼ぐ泥臭さが根本イズムの真骨頂でしょう。

■ライオンズ時代のトレード■

さて、本題のトレード。ライオンズ時代は、阪神タイガースから田淵幸一・古沢憲司選手を、ロッテから山崎裕之選手を、獲得しています。トレードではないですが、ロッテを自由契約となった野村克也捕手も獲得しています。移転したばかりの西武ライオンズは、マスコミの注目を集める必要があり、それが若手選手の緊張感やモチベーションにもなります。なので、ロートルでも有名選手を獲り、話題をムリヤリにでも創る。

地方の村興しに入った東京のコンサル会社が〝余所者・若者・馬鹿者が必要だ〟とか言います。しがらみのない余所者に、行動力がある若者、空気を読まず現状を改革していく馬鹿者が必要だと説き、余所者である自分たちのプランを正当化するのですが。俗耳には入りやすい空論です(キッパリ)。余所者は現場の理解が足りず、若者は経験値が足りず、馬鹿者知恵が足りず、貴重な予算が食い物にされるだけで終わりがち。

根本さんはそんな三流コンサルのプレゼンとは逆に、自分が現場に入り・ベテランの経験値を重視し・思いつきではない長期ビジョンに従ってチームの立て直しを進めたわけで。余所者・若者・馬鹿者が役に立たないわけではないですが、それをを活かすには相補的な、叩き上げ・ベテラン・知恵者がいないとダメ、ということですね。HONDAの藤沢武夫が経営指南書を何冊か読み、逆をやれば良いと思った逸話にも通底しますが。

■ホークス時代のトレード■

ホークス時代もそこは同じで、出血覚悟で大物を獲得する。その白眉が、秋山幸二外野手の獲得。圧倒的な身体能力にタイトルホルダー、二枚目で全国的な人気も高く、加えて九州熊本の出身。球場に客を呼ぶには、最高の選手でした。エースの村田投手、リードオフマンとして理想的だった佐々木誠選手を出してでも、獲りに行った訳で。ただのベテランではなく、バリバリのスーパースターでした。

〇1993年オフ 西武⇔ダイエー
秋山幸二31歳⇔佐々木誠28歳
渡辺智男26歳⇔村田勝喜24歳
内山智之25歳⇔橋本武広29歳

日本プロ野球史上屈指の身体能力を持ちながら、質も量も圧倒的なトレーニング内容に、ホークスの若手選手は「こんな一流選手がこれほどの練習を……」と、驚いたわけで。結果的に、小久保・井口・城島・松中・柴原・川崎と、ホークスを支える若手達のお手本になったわけで。当時のホークスは、試合前にロッカールームで将棋に興じるベテランがいる、緊張感がないチームで、負け犬根性が染み付いてたのです。

■選手で終わらぬ人材■

ここに、工藤公康・石毛宏典選手という、ライオンズで勝ち方を知ってる選手を獲得。1999年の初優勝には間に合いませんでしたが、ホークスの礎を築いたのは、間違いなく根本さん。浪人中の王貞治さんを口説いて監督に据えたのも、もちろん人気取りの面はありましたが、コチラも慧眼。王さんは監督としてだけでなく、現在はフロントのトップとして、ホークス全体を統括されていますし。これが実は重要。

秋山幸二選手は監督としても手腕を発揮。実は、公立の進学校の八代高校に学力で合格したほど、頭も良いんですよね。工藤公康投手も監督として手腕を発揮するように、クレバーな選手は選手としてはもちろん、コーチ監督、果てはフロントまで、息の長い財産になりますから。こういうコーチ監督以後も大事です。そもそも根本さん自身が、選手から実質GMまで叩き上げた人ですから。こういう手法、あなたのビジネスにも応用が利くかも知れませんよ?

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