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ストーンヘンジ5000年の謎

◉ストーンヘンジ……子供の頃の自分には、オカルト番組や学研ムーなどで定番のテーマでしたが。現在は、春分の日と秋分の日を観測するためのカレンダー的な存在とわかっています。石柱は紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えられ、その周囲の土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るとされます。もともとは、木製のサークルがあったことも、わかっています。生きている内に、見てみたい遺跡のひとつですね。数千年の風雪に耐えた理由が、解明されたようです。

【ストーンヘンジが風化せずに5000年も存在し続けている理由を解明】BusinessInsider

・ストーンヘンジが5000年前に建てられて以来、なぜ変わらずに存在し続けているのかについて、新たな研究が発表された。
・ストーンヘンジを構成する巨石「サルセン石」には、固く絡み合った石英の結晶が含まれている。
・10億年から16億年前のものも含むこれらの結晶が、岩石の耐久性を非常に高めているという。

詳しくは、上記リンク先をお読みいただくとして。ストーンヘンジの写真はウィキペディアより。

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■文明の誕生■

ストーンヘンジに使用されている岩石は、遺跡から25キロほど離れたウィルトシャーのウエストウッズから運ばれた砂岩とされます。それだけの距離を、あの巨大な石を運んだのですから、相当に組織化された集団と、技術があったのでしょうね。もともと、ヒール・ストーンという石と中心線を結んだ方向から日が昇ると、春分や秋分になる、つまり何年も何年も天体観測し、その知見が蓄積された結果、集団に知恵が継承されたわけで。

文明の誕生と言えます。現生人類は、約4万前から1万年前に誕生したクロマニョン人と連続しているわけですから。極端な話、1万年前のクロマニョン人の赤ん坊をタイムマシーンで連れてくれば、ピタゴラスの定理も相対性理論でも、当人に資質が有れば理解できるわけですから。そこから数千年かけて、イギリスの人類は、ストーンヘンジまで辿り着いたわけです。

■人類の文明構築への意欲■

もっとも、エジプトではほぼ同じ約4500年前に、クフ王のピラミッドが建造されていたわけで。メソポタミアでは9000年前には文明の萌芽が見えますし。中国ではは河南省新鄭県裴李崗移籍に代表される裴李崗文化がだいたい、紀元前7000年~紀元前5000年頃に生まれ、これが黄河文明となります。当時、粟の畑作農業が行われ、紅褐色の陶器や磨製石器などが使われていたわけですから。

日本列島にも、6000年前には稲作が長江下流域から伝播していますし、長野県の和田峠の黒曜石とか、1万年ほども昔から幅広く交易されていたことが解っています。隠岐の黒曜石とか、海を渡ったウラジオストクやナホトカの1万8000年前の遺跡や朝鮮半島からも発見されていますから。新潟の糸魚川の翡翠の硬玉(翡翠輝石=ジェダイト)は、縄文時代前期後葉の約7000年前には、糸魚川から各地に交易品として流通し、三内丸山遺跡や八丈島まで出土していますね。

■人類史と約4500年前■

約4500年前、ストーンヘンジが作られ、巨大なギザのピラミッドが作られ、アジアでは現在の台湾や福建省の辺りにいたポリネシア系民族が、海洋進出し日本列島はもちろん、ニュージーランドやハワイやイースターという広大な地域に広がっていったわけで。この時代、世界的には興味深い動きがあったんですよね。気候変動か、あるいは一定の人数に人類が達して、文明を作り出したのか。

オカルトとして、ストーンヘンジやナスカの地上絵などを楽しむのもありですが、人類の歴史の中で現れた足跡として見ると、より深く長く味わえると思うんですよね。「え、何? 宇宙人が作ったモノじゃないんだ。じゃあいいや」よりも。藤子・F・不二雄先生がずっと描き続けた科学する心と、不思議の探究は、両立し得ると、自分は思っています。ストーンヘンジなどは、その筆頭かと。

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