テロリストをモデルの映画が上映中止に
◉まず最初に書いておきますが、自分はこの上映自体には賛成です。そこは言論の自由を尊重する立場ですから、どんなに自分と思想信条主義主張が異なる作品でも、上映すること自体には、なんの問題もありません。『表現の不自由展』の開催賛成から、そこは一貫しています。それについて自由に感想を言える社会、批判も称賛も両方ある方が、健全な社会だと思いますので。アホは連中が余計なことをしやがってと、故郷のバカどもに対しては罵倒させていただきますm(_ _)m
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、桜島の写真です。
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はっきり言えば、上映してもトンデモ映画『新聞記者』と同様に、客はガラガラで日本アカデミー賞6冠ほかいろんな映画賞をあげまくって、評論家が称賛しまくったのに、拡大上映までしたのに、興行収入6億円という数字になったように。このテロリストをモデルにした作品も、観客動員という点で大衆の評価を受ければいいと思いますよ? ここらへんは、藤子不二雄先生の『エスパー魔美』でパパも語っていますが。批判と反論はいくらでもやればいいですが、表現を規制するのは法に沿った場合のみという線引が必要です。
そもそも作品というのは、どんなに凡庸な作品でも必ず良い部分がありますから。そこを見る人を妨げてはいけません。評価はその後ですし。上映時は客がガラガラでも、評価が上がる作品など、いくらでもあります。フランク・キャプラー監督の『素晴らしき哉、人生!』にしても『太陽の王子 ホルスの大冒険』も『ルパン三世 カリオストロの城』も、上映した時は評判は芳しくなかったですが、今では大衆の多くが認める名作です。作品と作家(監督)もまた別です。その作家が表層で主張すていることと、映画で表現していることが乖離することは、よくあります。
例えば『鉄腕アトム』と『男組』と『風の谷のナウシカ』の共通点は? 作者がみな共産党シンパやリベラルに分類される人間でありながら、それぞれ最後に主人公に特攻をさせている、ということです。アトムも流全次郎もナウシカも全員が、大衆のために身を挺します。捨身飼虎とは違う、個による公への献身。作者自身の主張と、実際の表現が乖離するとは、そういうことなんですよね。人間は表層意識と深層意識が容易に乖離しますし、そもそも思想の左右はゼロイチで割り切れるものではなく、キメラ=鵺的です。
Twitterでも雁屋哲先生は極左と言ってきた人がいましたが。そういう面はありますが、同時に極右的な面が、鵺のように混淆するのが人間です。だから『美味しんぼ』でも最初は、倒すべき家父長制の象徴として登場した海原雄山が、次第に自分の信念と芸術のためには消して妥協しない理想の父親的に変化していったわけで。雁屋哲先生御本人も、受ける漫画は浪花節と、何度かインタビューで明言されていますしね。そんなゼロイチで切り分けられるわけではないです。コチラも併せと読みいただければ、幸いですm(_ _)m
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