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カルト化する日教組

◉共産党が、党員がどんどん高齢化し、新聞赤旗の売上 もどんどん落ちているので、新規に党員やシンパをリクルートしようとしたら……活動家二世みたいな 人間や、極左寄りの人間が集まったように。組織率がどんどん落ちている日教組に、今頃集う人間は、このレベルなんでしょうね。朝日新聞や毎日新聞はスルーしているようですが、こんな人間に子供を教えてほしくはないです。

【タブレット端末の「電磁波」危険性訴え 学校のデジタル化を批判】産経新聞

 日本教職員組合(日教組)が開催している教育研究全国集会(教研集会)の保健・体育分科会で、小中学生に1人1台配られたタブレット端末などが発する電磁波の危険性を訴えるリポートが発表された。世界保健機関(WHO)は因果関係に科学的根拠はないとの見解を出しており、学校のデジタル化に支障が生じないか懸念される。

 リポートは福岡県の中学養護教員が発表。電磁界(電磁気による力が作用する空間)にさらされることで頭痛などの症状が生じるとされる「電磁波過敏症」を問題視し、教員仲間らとの勉強会などの内容を報告した。

https://www.sankei.com/article/20240127-QRMGU6HFRBMKLBGJXUWPVRXTBY/

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、電波を受信する猫型ロボットです。

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■電波の持つ意味■

一般に、「電波」という言葉には、現在では別の意味も付加されています。電波を勝手に受信して、「私を電波が操ってる〜」とか言い出す人が、昭和の時代は多かったんですよね。だから、電波系なんて言葉もあったし。電波少年も、ダブル・ミーニングでした。なぜ、電波かと言えば、ラジオやテレビが普及し、原理がよくわからない電波なるものが、身近になったので。

明治時代に誕生した、ブランデーベースのカクテルに『電気ブラン』と名付けられたのは、水力発電が外国から導入されて、それが新しい文化のイメージを伴っていたから……なんですよね。新美南吉の『おぢいさんのランプ』にも、ロウソクからランプになった明るさの変化が、文明の利器の象徴のように、主人公には感じられたように。

これが逆に、時代的に古臭くなるとノスタルジックな意味が新たに出てくるので、神戸らんぷ亭みたいな名前になるのですが。『おぢいさんのランプ』では、電線と電灯が普及し始めると、ランプ商であった主人公は、電線なんか引くと、それを伝って山からタヌキなどがおりてきて畑を荒らす云々と、電線の悪口を言って、なんとか電灯の普及を邪魔しようとするのですが。

■反ワクチンと同じ■

小説主人公の場合は、自分の商売があがったりになってしまうという恐怖感と、切実な問題があったのですが。この日教組の教師の場合は、本気でそう信じている可能性があるから、余計に厄介です。本人は善意のつもりで、しかも科学的なことを言っているつもりなのですから。反ワクチンの人々が、疑似科学を真の科学と信じているように。

でも、科学を批判できるのは科学だけです。真っ当な科学者は、反ワクチンの論のデタラメさを、きちんと指摘するのですが。疑似科学にハマる人というのは、基本的な科学知識や科学の手法を知らないのに、自分は真理に気づいたと思い込むわけです。これは、自分が科学についていけないがゆえに、ある種の疎外感や敗北感を感じてしまうんですね。

それだったら科学自体を全否定すればいいのですが、科学に対するある種の憧れとか権威を感じているので、自分のあり合わせの知識をツギハギして、妙な疑似科学を生み出すんですね。一見すると科学的な装いをしているので、騙される人も多いですが。オウム真理教が、パーリ語の仏典から直接翻訳をして、一見するとそれなりの知識を持ち、幸福の科学の変な仏教論を論破していたように。本質は、同じ穴の貉なんですが。

■科学的な真理?■

でも、日教組って昔から非科学的なんですよね。倫理綱領の第四項に「教師は科学的真理に立って行動する」なんて書いていますから。これだけを見ると科学を信奉しそれを追求する団体のように見えますが。そうではありません。ここで言う科学的真理というのは、マルクス・レーニン主義に基づく真理、という意味です。そう、共産主義思想は科学的に正しいと、昭和の時代は思われていました。

そもそも、カール・マルクス自体が、自分の思想を科学的な論考の積み重ねの上に生み出された、と思い込んでいましたから。これは、ダーウィンの進化論が同時代に発表され、センセーションを起こしたことに影響されています。マルクスは資本論の初版を、ダーウィンに贈っていますから。でも実際は、ダーウィンの適者生存を優勝劣敗と誤解した、疑似科学でした。

共産主義思想という疑似科学の、正体を見破れなかったという意味では、二流のインテリなんです。日本教職員組合は1947年という、戦後直後に誕生しているのですが。敗戦のショックとその反動から、反政府活動をして刑務所に収監されていた共産主義者が、一躍ヒーローになった時代。でも、それは国家神道から共産主義思想という宗教への、改宗でしかありませんでした。

■共産主義は宗教だ■

バートランド・ラッセルが、共産主義思想とキリスト教の類似性を指摘した著書『A History of Western Philosophy and Its Connection with Political and Social Circumstances from the Earliest Times to the Present Day New York』を世に問うたのが1945年。これが市井三郎訳『西洋哲学史――古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との問題における哲学史』としてみすず書房から発刊されたにが、1954年~1956年。

アリストテレス以来最大の論理学者と評されたラッセルは、レーニンのボルシェヴィズムは精緻な教義と経典をそなえた宗教だと、見抜いていたわけで。しかしこの指摘が現在、一般に浸透しているかと言われれば、そんなこともなく。それどころか、「今こそ共産主義を見直そう」とか言い出す人間が出る始末。その疑似科学になぜ人々が騙されたか、分析するならともかく。

それ以前に、『チャタレイ夫人の恋人』で知られるD.H.ローレンスが、キリスト教のヨハネ黙示録は抑圧が生んだ、歪んだ自尊と復讐の書だと喝破した『黙示録論』を執筆したのが1929年。フリードリヒ・ニーチェが『道徳の系譜』と『反キリスト者』を書いたのが1887〜1888年。共産主義思想のルーツであるユダヤ教キリスト教の問題点が指摘され、まだ150年経っていないんですよね。

■闇落ちする理由■

一見すると、科学の信奉者に見えながら、実は反科学に闇落ちする。これってまさにD.H.ローレンスが指摘したら、ヨハネ黙示録は抑圧が生んだ歪んだ自尊と復讐の書だという部分と、重なるんです。右の頬を打たれたら左の頬を差し出せという教えだけ見ると、非暴力の教えのようにも感じます。でも実際は、どす黒い復讐心を心の内側に溜め込んでいるんだよ、と。

だから、神がエリコの住人は皆殺しにして良いと命じたら、人間どころか家畜まで皆殺しにするわけです。でもそれを聖絶と呼ぶ。十字軍や異端審問裁判や魔女狩りやヒトラーやスターリンや毛沢東やポル・ポトや金日成らが、自国民の金持ちやインテリを数多く殺した理由です。現実の世での復讐が叶わないと、どうせあいつら最後の審判で地獄に落ちるんだから、と精神的に勝利する。

内田樹氏が、なぜ陰謀論を口にするようになってしまったか、そう考えるとある程度は理解できるのではないでしょうか。科学と疑似科学の境界線を容易に曖昧にし、自分が不幸なのは自分以外の悪いやつがいるからだと、囁く。多分に人類自体が、そもそもそういうルサンチマンを内包する側面を、持つ生き物なのかもしれません。儒教も仏教にも、程度の差はあれルサンチマンはありますから。

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