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四肢切断の神話素

Twitterで忘備録的に書いたことを、もうちょっと深く考察し直してまとめました。ついでに、アファリエイトのリンクを貼りまくって、noteの機能を上手く使って見出しや装飾やら目次も加え。加筆訂正を更に加えておきました。何かの参考になれば幸いです。なお、内容は随時、加筆修正します。

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【四肢切断と神話素】

コチラ↓のGIGAZINEの記事から、作品作りとか作品の構造とか、思いついたことを、ツラツラと。前半だけでもそれなりに、気づきを得られる人は得られるでしょう。気になるなら後半は有料で。たいした内容ではないですが。文中敬称略

『映画「スター・ウォーズ」シリーズで腕の切断シーンが象徴するものとは?』

『神話素』というのは、構造主義を打ち立てたレヴィ=ストロースが、『神話と意味 』という著書で提唱した概念です。物質が元素でできており、さらに元素は原子核と電子で構成されているように、言葉は音素で構成されています。
で、神話というのも物質や言葉と同様に、全体を構成する最小単位として神話素と呼べる存在があるのでは……というのが、レヴィ=ストロースの着想です。構造主義のルーツはフェルディナンド・ソシュールの言語学なので、これは自然な着想です。

興味がある人は、上記リンクからどうぞ。文章量自体は少なく短いけれど、内容はコッテリです。事前に、丸山圭三郎先生の構造主義解説の新書なども読まれておくと良いでしょう。

【寺沢武一『コブラ』と手塚治虫『どろろ』と】

四肢の切断は、菊地秀行『吸血鬼ハンターD』の死と復活(切り落とされた左手の人面瘡によるエネルギー生産)の物語や、寺沢武一『コブラ』の、コブラとクリスタルボウイの因縁などにも観察されます。

コブラはクリスタルボウイとの死闘で左腕を失うことで、サイコガンという彼自身の代名詞となる強力な武器を得、クリスタルボーイも生身の肉体を失うことで光線銃がすり抜けてしまうクリスタルの肉体を得ます。

寺沢の師である手塚治虫『どろろ』では、百鬼丸は108の妖魔から肉体を奪われたことで、逆に超常的な知覚を得て、育ての親の医者・寿海による手術によって、むしろ強力な戦闘力を持った存在となります。

他にも尾田栄一郎『ONE PIECE』のルフィとシャンクス、三浦建太郎『ベルセルク』のガッツとグリフィス、荒川弘『鋼の錬金術師』のエドワードとアルフォンスの兄弟などなど、ヒット作に枚挙に暇がありません。彼らはセットで肉体を欠損します。

もっと言えばつくしあきひと『メイドインアビス』や吾峠呼世晴『鬼滅の刃』にもこの構造はあり、たつき監督の『けものフレンズ』『ケムリクサ』にもグラデーションはあれ、存在します。あなたの好きな作品にも、この構造はありませんか?

【どろろとカインとアベルの物語】

これらの作品の場合、肉体の一部を欠損した者がセットであり、そこに生じる因縁が物語の軸になります。奪った者と奪われた者の関係性が、読者に復讐譚と理解させたり、欠損を補うための物語として、読み進めさせるのです。

『どろろ』の百鬼丸とその実父・醍醐景光の関係も同じで、景光は生まれてくる予定の息子の肉体を108体の魔物に捧げるとの契約成立=天下を手中に収めるの証しとして、額に疵をができます。

ここら辺は聖書の創世記、カインとアベルの関係性とも通底しますね。

弟のアベルに嫉妬した兄のカインは、弟を殺した代償に神によって額に印をつけられて、追放されます。映画がジェームズ・ディーンの代表作として有名な、ジョン・スタインベックの小説『エデンの東』も、この神話をモチーフにしています。

この神話自体は、メソポタミア文明の古代バビロニアにあった、逃亡司祭の文化を反映してるのではという指摘もあって、なかなか興味深いのですが。かいつまんで説明すると、当時は神に人間の生け贄を捧げる風習があったんだそうです。

これは太陽神に生け贄の人間の心臓を捧げたアステカ文明や、農耕の神に乙女を捧げた黄河文明にも見られ、日本でも人柱伝説があったりします。神への捧げ物ですから、生け贄を殺すのは神官の聖なる役目です。殺人という大罪が、聖なる儀式になるわけです。

でも、殺人は穢れでもあるため、神官は儀式後に神殿を離れ、各地を放浪し穢れを祓う。この神官が逃亡司祭。彼には特別な目印があり、放浪先の民は邪険にしてはいけなかったと。興味がある人は、調べてみましょう。面白ですよ。

【成田美名子CIPHERとどろろの類似性】

成田美名子『CIPHER』もこの、カインとアベルの確執をモチーフにしています。その内容を詳しく見ると、作品を構成する要素が『どろろ』と似ています。ジャンル的には現代アメリカを舞台にした成長譚と、伝奇時代マンガで真逆なのに。

以下に類似点を書き出してみましょう。

・兄弟(シヴァとサイファ=百鬼丸と多宝丸)の確執
・親子(シヴァと父親=景光と百鬼丸)の確執
・額の傷(景光とサイファ)
・肉体の欠損または死亡(百鬼丸とディーナ)
・女性の喪失感(サイファの恋人アニスと百鬼丸の母の縫の方)
・癒やし役のトリックスター(アレクサンドラとハルとどろろ)

カインとアベルの物語も兄弟の争いを描いていますが、本質は親子の確執です。だからこそカインとアベルの物語をモチーフにした名作映画『エデンの東』では、アロンとキャルの兄弟に、父親のアダムが絡んでくるわけです。

同じく『CIPHER』も、死んだ父親に自分は選ばれなかったというコンプレックスを、兄のシヴァは弟のサイファに対して長く持ち続けます。ある意味で、父親の愛情の欠損を埋める作品、とも言えそうです。

ここら辺は作中でも、重要なモチーフ。そういえば、二ノ宮知子『のだめカンタービレ』の千秋真一もまた、父親との確執が物語の重要な縦糸です。惣領冬実『ボーイフレンド』にも、この父と息子の確執は描かれていますね。

萩尾望都『イグアナの娘』では母と娘の確執ですが、これはエディプス・コンプレックスとエレクトラ・コンプレックスみたいな、コインの表裏の関係。白井カイウ原作・出水ぽすか作画『約束のネバーランド』も、院のシスター・イザベラはママと呼ばれていますね。

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