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忠臣蔵は消えゆく文化か?

◉Twitterでは、近年は忠臣蔵が制作されず、テレビでも放映されず、文化的な断絶があるという声が、毎年12月14日前後には起きます。もっとも、自分たちが子供の時代、すでに1970年代や80年代でも、「年末といえば忠臣蔵!」という雰囲気は、だいぶ薄くなっていたんですけどね。春日太一さんが分析されているように、忠臣蔵はものすごくカネがかかる芝居で、映画はオールスターキャストという面がありますから、予算の部分が大きいのでしょう。

【日テレもフジテレビも、「忠臣蔵」のドラマを作れなくなった「根本的な理由」】マネー現代

元禄15年12月14日、大石内蔵助をはじめとする四十七士が吉良上野介を討ち取る「赤穂事件」が起こった。これに至る顛末を描いたのが「忠臣蔵」だ。かつてはよくドラマや映画になった「忠臣蔵」だが、最近では映像化される機会も格段に減ってきている。いったい、なぜなのか…? 時代劇研究家の春日太一氏の新刊『忠臣蔵入門』から、その理由を紹介しよう。

ヘッダーの写真はnoteのフォトギャラリーから、吉良上野介義央の像です。

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■忠臣蔵は廃れない■

『四十七人の刺客』ですら1992年で、久しぶりの忠臣蔵映画というイメージでした。これは吉良上野介義央役が西村晃さんで、面白かったですねぇ。もちろん、テレビドラマでは1985年の年末時代劇スペシャル『忠臣蔵』や1987年の『必殺仕事人』の新春スペシャル番組、あるいは1990年にビートたけしさんが大石内蔵助良雄役の『忠臣蔵』もありましたが。これらは時代考証でのリアルな部分を取り入れたり、新解釈も盛り込まれ、個人的には好きな忠臣蔵です。

また1999年の『元禄繚乱』がそれほど大人気というわけでもなかったので、忠臣蔵離れは何を今更……という気はします。人形浄瑠璃の人気演目が歌舞伎に移され、それがやがて映画にシフトし、映画時代からテレビ時代にシフトしてゆき、やがてそれも下火になったと。平成不景気が大きかったのでしょうね。でも、あんがいその内にネットフィリックスやAmazonで、忠臣蔵が造られたりして。アメリカ資本で創られる忠臣蔵、それも時代かもしれません。

そもそも忠臣蔵って、日本人の浪花節というか、琴線に触れる義理と人情の物語の集大成ですから、廃れることはないと思っています。実際、みなもと太郎先生も『仁義なき忠臣蔵』で指摘されていましたが、東映ヤクザ路線の成功は忠臣蔵をベースに置いたから。例え時代劇としての忠臣蔵そのものが廃れても、それは源氏物語が原文では読まれなくなったのと同じで、廃れるかといえば別の話。廃れても脈々と受け継がれる、と言ったほうが正確でしょうけれど。

■問題は浅野内匠頭長矩■

左派は、忠義が時代遅れ云々という論調にしたいですが。別に封建的な武士道の忠義はなくなっても、会社や社会や個人的な集団でも、忠誠心や義理人情というのは時代によって姿かたちを変えても、残るものですからね。それは、前述の投影ヤクザ路線がそうで、ドライな現代的ヤクザを描きながら、そこには日本人が好むドラマがあるのですから。機動戦士ガンダムだって、ホワイトベースのクルーが四十七士で、ア・バオア・クー戦は吉良邸討ち入りですから。

思うに、史実としての赤穂事件は、どう見ても浅野内匠頭の異常行動に過ぎないわけで。彼の母方の叔父も刃傷事件を起こしていて、本人もどうも資料を読むと躁鬱病のケがあった感じ。だいたい忠義の話なら、御家のことこ考えずに抜刀した馬鹿殿です。そして、吉良上野介義央は、突然の襲撃にも、まず駆けつけた周囲に自分の佩刀を見せ、抜刀していないことを示しています。つまり、斬りつけられたが応戦していない。つまり、喧嘩両成敗は不成立です。

そういえば、大学院生を執拗に長時間殴り続けて重症を負わせた輩の友人たちが、アレは喧嘩だとTwitterで言い募っていましたが。ようは、喧嘩両成敗と言いたいのでしょうけれど。戦国時代の領国法に由来する封建的価値観を、リベラル仕草の人々が出してきたことに驚きましたが。喧嘩両成敗は応じなければ不成立。故に、大学院生リンチ事件は封建時代の領国法的にも慣習法的にも、喧嘩ではありません。一方的な暴力、しかも複数人で暴力を加えたリンチです。

■現代の忠臣蔵の可能性■

吉良上野介義央は源氏嫡流にもっとも近い名門で、有職故実に通じた高家肝煎。パニックになっても仕方がない状況でも喧嘩両成敗の不成立を示すとは、あっぱれ武門の鏡です。殿中で抜刀した浅野内匠頭長矩とは比較になりません。喧嘩両成敗なのに片手落ちの処罰、というのは無知からくる言いがかりです。コレ自体が忠臣蔵の不成立に、多少は影響しているかもです。『四十七人の刺客』では、そこを曖昧にし、最後には原因なんてどうでもいいという形で、バッサリ。

もともと、吉良の傷が大したことがないのに、世襲の御典医が治療が下手で、吉良が重症を負ったかのような誤解から、殺したいほど恨んでたという勘違いから仇討ちとなったという藤原京先生の推測もありますし。個人的には、一和会に実兄である山口組四代目を暗殺された竹中組が、山口組が手打ちした後も執拗に山本会長の命を狙い続けたように、ヤクザの論理に近いものですしね。それだって、御家が1万石でも存続していたら、討ち入りがあったかは疑問ですしね。

そこらへんを勘案すると、あんがい忠臣蔵は本来の仮名手本忠臣蔵の様式に戻し、塩冶判官と高師直の配役で、原因は高師直の横恋慕(コレ自体は一部史実)にしちゃって、大星由良之助の仇討ち話に戻したほうが、かえってすんなり受け入れられたりして。思うに、源氏物語のハッピーエンドからの卓袱台返しみたいな手法は、橋田壽賀子ドラマに継承されたように、忠臣蔵のエッセンスは、ファンタジーでもSFでも換骨奪胎して吸収できるものですからね。繰り返しますが、自分はさして心配していません。

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