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日本語消滅の危機?

◉日本語は、台湾や半島で喋れる高齢者もいらっしゃいますが、ほとんどこの日本列島に暮らす人間がメインです。それでも、話者は世界で9番目に多いんですよね。いかに、日本の人口が世界的にも多いほうか、理解できます。アジアには、中国とインドという超巨大な人口の大国が2つもあり、1億人を超える国もインドネシアやバングラデシュなどもありますし。ロシア連邦も、アジアっちゃあアジアですしね。でも、ドイツが8300万人、イギリスが6700万人、フランスが6500万人と考えると、たいした人口なんですが。それが消滅の危機?

【日本語が「消滅の危機」にある理由、世界で9番目に話されているのになぜ?】ダイヤモンド・オンライン

「日本語が消滅する」と聞いたらどのように感じるでしょうか?日本語研究の第一人者で埼玉大学名誉教授の山口仲美さんは「世界のあちこちで民族固有の言語が消滅しているように、油断をすると日本語も消滅する」と危惧しています。実際、「2週間に1言語のペースで衰退しつつある言語の最後の話者が死んでいる」と言われています。なぜ、日本語は消滅の危機にあるのでしょうか。『日本語が消滅する』(幻冬舎新書)より紹介します。

https://diamond.jp/articles/-/328344

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、辞書の写真です。

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■実は大きな日本■

自分も、日本は狭い島国と書きますが。実際には、国土面積も世界的には61位で、190ちょっとの国と地域の中では、上位30%ぐらいなんですよね。樺太と千島列島が加われば、さらに順位アップ~。そもそも東アジア最大の島国でもあります。世界の島国の中でも、4番目に大きいんですよね。ロシアとか中国とかオーストラリアとかインドとか、これまた巨大な国がアジアには多いので、小さいなと思ってしまうんですが。島国ゆえ、排他的経済水域は世界6位に躍り出ます。なので人口も含め、日本人が思うよりも、遥かに大きな国なんですよね。

でも、言葉は消滅の可能性をはらむ。ただ、これは日本語に限らないんですけどね。アイヌ語はもうネイティブでしゃべれる人間がいませんし、日本の方言も、どんどん変化しています。鹿児島県でも、他県人には別言語に聞こえる鹿児島弁でも、鹿児島市内と他の地域はかなり発音や語彙が違いますから。これが奄美とかなると、古い京言葉の語彙や発音も残していて、イントネーションさえ違います。そういう意味では、非常に多様な方言があるのですが、それは標準語教育とテレビの普及で、かなり消滅しています。これは何処の地方も同じでしょう。

■生まれる新言語■

では、日本語が消滅するかと言えば、それは危機感を煽りすぎでしょう。可能性はゼロでない、とは言えますが。人類は、国だと200もないのに、言語は5000とも6000とも言われるぐらいに違いますし、元々言語は変異しやすいようです。例えば、英語は事実上の世界共通語ですが、各地域のピジン英語が、生まれているんですよね。それは、新英語というべき存在。昔、タイでブラジリアン柔術を学んだ先生はオーストラリア人でしたが、就職する前、わざわざイギリス英語を学んだとか。オーストラリア英語も、かなり癖があるんですよね。

イギリス人とか、アメリカ英語をバカにしていて、アン・ルイスさんもイギリスに行ったら、「ああ、アメリカ人ね」みたいな対応をされたと。aとoの発音の転換とか、アメリカの英語も、地域で訛りがあるようで。あれだけ広大な地域ですから、当然ですね。なにか一つの言語に世界が統一されるかと言えば、そんなこともなく。エスペラント語も、思ったほど広がりませんでしたしね。自分が小学校の頃、将来的にはエスペラント語が共通語になると力説していた教師もいましたが。言葉の持つパワーを、軽視しすぎていませんかね?

イスラエルが国家として成立したとき、紀元66年のユダヤ戦争で自治権を失って流浪の民になったユダヤ人ですが、2000年近い時を超えてヘブライ語を復活させたわけで。しかも、2500年ほど前のバビロン捕囚の頃にはもう、ヘブライ語は古語みたいな感じになっていて、多くのユダヤ人はアラム語を話していたとか。でも、民族の基本は言語だと、イスラエルの指導層は解っていたのでしょうね。日本語で思考し日本語を話すのが、日本人の基本だと自分は思っています。ユダヤ人も、遺伝的な人種はバラバラで、生物学的な民族とは、違うんですよね。

■語学は必要性?■

自分は仕事柄、翻訳アプリを使うことが多いです。語学が苦手というのもありますが。ところが、近年のAIの発達と翻訳の精度アップは、素晴らしいものがありますね。ドラえもんで『ほんやくコンニャク』という秘密道具がありますが。もう、ほぼリアルタイム翻訳が可能な機器も出ていて、そういう意味では、実は日常的な交流や旅行レベルなら、むしろ言語は統一の方向から逆行する可能性もありますね。本当に細かいニュアンスは、それこそ翻訳家やビジネスマン、研究者レベルで必要かも知れませんが。

そもそも、なぜ外国語が必要かと言えば、ビジネスの問題が大きいんですよね。京都のある飯屋に入ったら、そこの主人が外国人観光客相手に、英語がペラペラ。話を聞いたら、若い頃はミュージシャンで、米軍キャンプ周りをしていたので、覚えたと。山田五郎さんも指摘されていましたが、結局語学は必要があれば身につくし、必要がなければ忘れると。日本人が、英語を覚えないのは、日本国内で生活が完結できて、覚える必要がないからだと。逆に、日本が貧しく移民で出ていかざるを得なかった時代は、必死で覚えたわけで。

逆に言えば、日本の周辺国や外国が、ビジネス上の必要があれば、日本語を覚えるんですよね。実際、外国人留学生とかかなり教えていますが、日本のアニメや漫画や文学を学ぼうという人間は、かなりの上達を見せます。日本語を守ろうと思ったら、実はビジネスと文化交流を盛んにし、外国にとって日本が魅力的になれば、話者も増えて安定する可能性が。そもそも、日本は1000年前に女流文学のサロンができて、女流文学者が活躍するという、欧米より500~600年は早い動きを見せています。これが、漫画やアニメ文化の基礎です。

■日本語教育再考■

山田五郎さんや小西克哉さんとか、留学経験もある語学に堪能な人ほど、今の日本の広く薄くの語学教育に、疑問を呈しますね。自分は、語学は才能の部分もあるので、むしろ語学高専のような存在を作って、英語だけでなくフランス語やドイツ語やスペイン語や中国語など、主要な言語の通訳のエキスパートや翻訳のエキスパートを育てる方がいいでしょうね。英語は、膏肓からは選択性にして、むしろ日本の古典や漢文などをきちんと学んで、創作者を育てる基礎を鍛えたほうが良さげ。

中国とか、モノ作りの次はコンテンツビジネスと、ハッキリ解っていますから。映画はもちろん、アニメや漫画や小説、舞台演劇なども含めて、コンテンツの持つ力って大事なんですが、どうにも日本は、これらのソフトパワーを軽視しがちですね。山田五郎さんは美術を学びに、オーストリアに留学されたんですが、逆に日本の美術について外国人から問われ、日本美術の基本的なことも知っていなかったと、愕然としたとか。世界最高峰の理系大学であるマサチューセッツ工科大学は、文系学問を大事にするのに、経団連の雇われ社長とか、文系不要論を口走るわけで。

自分は、そちらの可能性に期待します。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ


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