元関脇寺尾の錣山親方死去
◉その小気味の良い相撲のファンだったので、残念です。自分が小学生の時、若嶋津が大活躍して大関に昇進、鹿児島県では相撲人気が高まり。そこに井筒部屋の鶴嶺山・逆鉾・寺尾の井筒三兄弟に、霧島や薩洲洋らが続き、元々人気があった相撲人気がさらに爆発し。NHK鹿児島のローカルニュースでは、郷土出身力士の成績を伝えるコーナーさえありました。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより。大相撲本場所の幟の写真です。
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若嶋津・霧島・寺尾は、ソップ型の二枚目力士として、人気が高かったですね。特に寺尾関関は角界最高の二枚目力士との評価も高く、鹿児島どころかどこの場所に行っても女性人気が凄まじかったです。幕内力士の土俵入りの時の声援がもう圧倒的で、特に女性の黄色い声が大きかったです。もちろん九州場所とか、福岡の花柳界がほっておかなかったようですが。
同じ昭和38年生まれの力士に人材が豊富で、花のサンパチ組と呼ばれましたが。寺尾関は実際は早生まれで、学年的には1つ上でした。それでも保志(北勝海)に北尾(双羽黒)に小錦に琴ヶ梅に孝乃富士と、まさに人材の宝庫でした。その上に絶対的横綱の千代の富士が君臨し、北天佑や朝潮の人気力士もいて。ある意味で 千代の富士時代は人材が揃っていました。
千代の富士引退後の平成の角界においては、若貴フィーバーの時期も、人気力士としてのポジションは変わらず。現役生活が長くなるに従って、鉄人力士と呼ばれるように。決して体格に恵まれたわけではなかったのに、そのケレンミのない勝負スタイルとハラハラドキドキさせる相撲 内容で、解説者がよく銭の取れる相撲をやっていると、褒めていましたね。
結果的に、上で引用したように、数々の通算記録で上位に入る名力士となられたわけで。ソップ型でしたし、現役生活も長いタイプでしたから、引退後は普通に長生きされると思っていたのに。61歳は早いですね。それだけ 力士は体に負担を強いて、あの体格を維持されているのでしょうけれど。今回の訃報で、その人気ぶりが改めて クローズアップされました。
これで井筒三兄弟も、全員鬼籍に。昭和も遠くなりにけり、ですね。寺尾関のご冥福をお祈りします。合掌
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