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過去を抱いて今は眠るの 5

 「返して、寂しい、返して、私の、冷たい、取らないで、誰か、独りぼっち、返して・・・」

 渡良瀬誘(ワタラセ イザナ)は支離滅裂な単語をぶつぶつと呟いている。顎に手を当てて、何か考え込んでいる様子だった。

 そんな不気味な行動をとるワタラセを目の前に、宮園恵(ミヤゾノ メグミ)は膨れ上がる恐怖心を止められずにいた。

 自分の表情が強張ってゆくのが手を取るように分かる。

「何言ってるの?ねぇワタラセくん、変な冗談はやめてよ。面白くないよ」

 思わず強い口調になってしまう。思ったより大きな声が出て、自分自身で驚いてしまった。ワタラセは顔を上げて、メグミをじっと見つめた。いや、睨み付けたと言った方が正しい、眉間に深いしわが寄ってる。眼鏡の奥の瞳は真剣そのものだった。

 「冗談なんかじゃねぇよ。言ってるんだ、そこ子が」

 ワタラセの視線が、メグミの右側へと逸れる。ほんの数分前にワタラセが「女の子が居る」と言い指さした場所だ。向けられた瞳にはさっきまであった険悪さは消え去り、優しさと悲しさが入り混じったような、そんな戸惑いが感じられた。メグミも視線を這わせてみたが、やはりそこには誰も居ない。

 「その子供はどこから連れてきた?お前は何を取った?理由があるはずだ、何か心当たりはないか?なんでもいい」

 矢継ぎ早に質問してくるワタラセにメグミは耳を塞いでしまいたい衝動にかられた。

 さっきからワタラセくんの言っていることが何一つ分からない。何を言っているんだろう。私が子供から何かを取った?高校からずっと私の周りに女の子が居る?なにも知らない。分からない。怖い。きっとこれはたちの悪いいたずらだ。ワタラセくんは私のことが嫌いだから。

 「やめろ、イザナ。怖がっているだろう」

 張りつめていた空気がやんわりと断ち切られた。話を黙って聞いていた冷原一(セイライ ハジメ)が呆れたようにため息を漏らしている。

 「あ?別に安心させるのが目的じゃねぇだろ」

 「でも伝え方ってものがあるだろう」

 「見えてるものをそのまま言って何が悪い」

 「話をするときはもう少し相手のことを考えてだな・・・」

 「いちいち気なんか使ってられるかよ。めんどくせぇな」

 「まったく。だから他の同級生から煙たがられるんだ」

 セイライは大袈裟に肩を落として見せた。ワタラセは反抗するように「あーあーうるせー」と耳に指を突っ込んで、ソファーにふんぞり返る。

 メグミはそんな二人のやり取りを、別世界の出来事のように眺めていた。会話は耳を滑り落ち、心臓は早鐘を打っている。恐怖心が膨れ上がり、今にも破裂してしまいそうだった。それくらいには混乱していた。

 見えないものが自分に付きまとっている。

 証拠なんて一つもない。きっとワタラセの悪い冗談だ。メグミがそう信じたいと思えば思うほど、脳裏に浮かぶワタラセの真剣な表情がその可能性を壊してゆく。

 「ほんとう?」

 メグミは乾いた唇から言葉を吐き出した。

 外で蝉が鳴いている。風が吹き倉庫が軋んだ。

 「ほんとう、なの?」

 あまりにも小さすぎる声でメグミ自身、心の中で思ったのか、きちんと口に出したのか分からなかった。けれど、ワタラセとセイライはまっすぐにメグミを見た。

 「本当だよ」

 口を開いたのはセイライだった。その優しい口調にメグミはお腹の辺りがギュっと痛んだ。そんな風に言われてしまったら、まるで事実のようだ。

 「今日イザナに写真を見せただろう?小さな手が君の足首をつかんでいる写真。その手は君に憑いている女の子のものだ」

 セイライは諭すようにゆっくりと言った。けれどメグミは上の空だった。身体が水底に沈んだような心持ちで、すべての感覚が遠くにあるように思えた。言葉は意味をなさず、脳が理解するのを拒んでいる。

 「そう怖がるなよ」

 ソファーにふんぞり返り、天井を見たままワタラセはポツリと言った。

 「お前が目に見えてなくても、そいつらは実在するし意思もある。痛みだって苦しみだって感じる。不気味なものだと思うかもしれないが、元は人間なんだ。お前と同じ」

 表情は見えないが、声にいつものようなトゲがない。

 ワタラセの独白にセイライは人懐っこい笑みを浮かべて、うんうんと頷いている。

 「それに君に憑いている子から悪意は感じられない。ただ困っているように見える」

 セイライは穏やかな表情でそう言った。

 「だから原因を解決すれば多分消えるだろ」

 ワタラセがため息をふんだんに織り交ぜながら言い放った。

 「原因って?」

 メグミが言うと、ワタラセは顔をひきつらせた。

 「だからその原因をさっきから聞いてんだろうが。お前に引っ付いている子供から取った物を返せばさっさと解決すんだよ。おら吐け!何を取った!」

 声を荒げるワタラセに、冷え切っていたメグミの頭に一気に血が上った。

 「分からないって言ってるでしょ、この分からずや!だいたいね急に意味不明なこと言わないでよ!お化けが見えるかなんだか知らないけどね、急にそんなこと言われて信じろって言う方が無理あるよ!証拠だってないし!」

 まくしたてるように言うと、ワタラセは大きく歯ぎしりをした。

 「お前が俺を信じなくたって別にいい。でも解決しないと俺が困るんだ」

 「なんでワタラセくんが困るの?私じゃなくて?」

 「俺がお前の悩みを解決しないと、俺が呪い殺される」

 ワタラセはギリギリと歯ぎしりをしながら、絞り出すように言った。

 「はぁ?ちょっとワタラセくん。ふざけないでよ」

 苛立ちをあらわにしながらメグミが言うと、ワタラセは拳を振りかざした。反射的に目を閉じてしまう。

 拳が空気を切り裂く音が大きく聞こえた。

 一瞬の間を置いて、メグミはゆっくりと目を開いた。

 どこにも痛みは感じられなかった。

 その代わりに目を疑った。

 一瞬ワタラセの拳は、セイライの顔面にヒットしているように見えた。

 鈍い音はしなかった。

 よく見ると拳はセイライをすり抜けている。

 殴られたように見える顔面は画質の悪いテレビのように乱れ、周りには霧のようなものが漂っていた。

 唖然として声も出せないメグミに、ワタラセは殴った手を脱力するように下げた。

「俺もお前もハジメが見えている。でもこいつは人間じゃない。触れることができない。これが証拠だ」

 散っていた霧のようなものが顔面に収束してゆく。音もたてずに、セイライの顔面は修復を終えた。形の綺麗な唇がゆっくりと開く。

「俺はイザナを呪い殺したくない」

 やけに優しい口調に、鳥肌が立った。

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