過去を抱いて今は眠るの 2
「そろそろ元気出しなよぉ。何かひどいこと言われちゃった?」
というのんきな声と共に、机に突っ伏していた宮園恵(ミヤゾノ メグミ)に飴の袋が差し出された。メグミは何のためらいもなくその袋に手を突っ込む。声をかけてきたのはクラスメイトの千葉茉由(チバ マユ)だった。メグミのことを心配そうに見つめている。
学校中で「変人」と呼ばれているワタラセの元を訪れてから、メグミはすっかりしょぼくれてしまっていた。お昼休み、ワタラセに「ある相談」を聞いてもらうまでの流れは良かったのだが、そこから先がうまくいかなかったのが原因だった。
あのいじわる男!
メグミはワタラセの眼鏡の奥にある冷ややかな視線を思い出しては、ふつふつと自分の中に怒りが湧きあがってくるのを感じていた。
「マユちゃん聞いてよ・・・」
そう愚痴を言いかけたメグミの言葉が「あっ」というマユの声で遮られる。
「メグちゃん、一個だけだからね」
「なにが?」
「その手!飴だよぉ~!もぅ~なんでそんなに取っちゃうのぉ~!」
袋から取り出されたメグミのこぶしには、納まりきらなかった飴が何個か飛び出ている。
「いいじゃん、まだ袋に沢山入ってるし」
「えぇ、そういう問題じゃないと思うんだけどなぁ・・・。うーん。メグちゃんもそろそろ遠慮ってものを覚えた方が・・・。まぁいいかぁ」
メグミの奔放さに困った顔をしつつ、マユはメグミの前の席へと腰を掛けた。
放課後の教室はまだ騒がしく、色々な会話が飛び交っている。
「そうそう。細かいことは、いいのだいいのだ~」
メグミは元気を取り繕いながら、もらった飴を一つ口へ放り込んだ。この暑さで少し溶け出していたが、ミルクの優しい甘みが、メグミのささくれだった心をほんの少しだけ穏やかにしてくれる気がした。
「で、どうだったの?いーちゃんに会ったんでしょ?」
マユの言葉を聞いて、メグミは顔を歪めた。
「ねぇねぇ。その“いーちゃん”ってもしかしてワタラセくんのこと?」
「そうだけど・・・」
「うげぇ。全然似合わないじゃん」
「でも幼稚園の頃から呼んでるから、いまさら変えられないよぉ」
「ふーん。そういうもんなんだ」
気のない返事をしながら、メグミは自分の記憶の中に幼馴染と呼べるような人間がいただろうかと思考を巡らせていた。
幼い頃、私は誰と仲が良かったんだっけ?
ときどきそういった疑問が浮かんでくる。そのたびに記憶の奥に手を伸ばしてみるのだけれど、いつだってそこには深い闇しかなかった。まるで土に覆い被されたみたいにそこから先には進めない。
答えのない疑問は、宙に浮いたまましばらくその辺をさ迷っていたが、マユの声でそれはあっさりと消えていった。
「いーちゃんは、何というか。ちょっと性格がアレだったでしょ?」
「それはもう、想像してたよりもずっと。しかも、ワタラセくんがあの「変人のワタラセ」だとは思わなかったよ。前もって教えてくれれば良かったのに」
メグミが口をとがらせて言うと、マユは「えぇ」と声を漏らした。
「ごめんねぇ。知ってると思ってたんだぁ。いーちゃん学校で人気者だから・・・」
「いやいやマユちゃん。目立ってる人間が必ずしも人気者という訳ではないんだよ。残念ながらね」
メグミの言葉に、マユがまた困った顔をする。もともと下がっている眉毛の角度がさらに傾いた。
「あと手紙なんだけどね。読んですぐ、くしゃくしゃにしてその辺にポイッって捨ててたよ」
「やっぱり・・・。いーちゃんのばかばか!絶交だ!もう知らない!」
「優しいマユちゃんがここまで怒るとは・・・。ワタラセくんに何されたの?」
メグミの質問にマユは露骨に表情を曇らせた。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
あっ、少し踏み込みすぎたかもしれない・・・。
メグミとマユは友達ではあるけれど、お互いなんでも話し合う間柄でもなかった。高校に入ってから四か月。ほとんどをマユと一緒に過ごしてきたけれど、ワタラセとマユが幼馴染だったことを知らないように、お互いまだ分からないことの方が多い。お互い話したいことだけを話す。メグミにとってそれは居心地の良い関係であるのと同時に、マユという個人の領域にどこまで踏み込んで良いのか、その辺の距離感を測りかねる要因ともなっていた。
「まぁ!なんにせよきっとワタラセくんが悪いに決まってるよ!」
空気を変えるために冗談っぽくメグミが言うと、マユはにっこりと笑った。
「そう、悪いのはいーちゃんなの」
ほほ笑みに張り付いた瞳の奥は、まったく笑ってはいなかった。
そしてそれを見たメグミは、取り過ぎた分の飴をマユの元へとしっかり返却した。
気をつけなきゃ、ひょっとしたらマユちゃんは怒らせたら一番厄介なタイプの人なのかもしれない。根に持たれそう・・・。
メグミはほんの少しだけワタラセに同情した。
「でっ、でもっ。意地悪なワタラセくんでも私の話は聞いてくれたよ!」
「わぁ、それは良かったねぇ」
マユはいつものマユに戻り、穏やかに相槌を打った。動きと共に柔らかそうなふわりとした髪が揺れる。メグミは安心して話を続けた。
「そうなんだけどね。そこまでは良かったんだけどね。力にはなれないって断られちゃった」
「あらあら」
「うぅ、どうしよう」
「ちょっと不安だよねぇ。その写真持ってるの」
そう言ったマユの視線が、机に置いてあるカメラへと落とされる。
「うん・・・。何か良くないものの気がするんだよね・・・。やっぱり神社とかに持っていった方がいいのかな」
メグミはため息交じりに言うと、慣れた仕草でカメラを操作し、画面に一枚の写真を表示させた。
それは制服を着たメグミの足元を、メグミ自身が撮影した写真だった。
一見普通の写真なのだが、よく見るとあるはずのない手が写り込んでいるのだ。
その手はメグミの右足首をつかんでいて、メグミを今にも別の世界へ引きずり込もうとしているようにも見える。映っている手は不自然なまでに小さく、それがさらに不気味さを膨らませていた。
メグミは身を震わせた。
何度見ても、青白い手はメグミの足首をしっかり掴んでいる。
「もしかしたら、原因が“見える”人なら紹介できるかもしれない・・・」
この写真を見せた時、メグミにマユはそう言った。
そして紹介されたのが、「変人」で有名なワタラセだった。
「原因が“見える”・・・って?」
話を聞いたとき、メグミはこの疑問をぶつけたのだが、マユは首を横に振った。
「私にもね、詳しいことは話してくれないの。だから解決するって自信を持って言えるわけじゃないけど・・・。でも話したら絶対に力になってくれると思うよ」
マユはいつになく真剣な表情で、そう言うだけだった。
根拠もなく、だいぶ信憑性に欠ける話だったが、会ってみれば全て解決すると思いメグミはワタラセの元を訪れた。
でも結果的には
「話は聞いてやった。約束はそれだけだろ。力にもなれない。用は済んだはずだ。さっさと帰れ!ばーーか!」
と言われ、半ば強制的に倉庫から追い出されてしまった。結局原因が“見える”という意味も、真偽も、謎に包まれただけだった。
あの時のワタラセくんの勝ち誇った表情、思い出すだけで腹が立つ。
「でもまぁ、無償で何かをやってもらおうと頼んだ私も悪いんだよね。他の方法探してみるよ!」
メグミが言うと、マユはゆっくりと首を横に振った。
「ううん。いーちゃんは助けになってくれると思うよ」
「いやいや、絶対にないね。だってもう断られちゃったんだもん。それも壊滅的なまでに、ハッキリと!」
「大丈夫だよぉ。いーちゃんは誰よりも優しいから」
マユが柔らかく笑うのと同時に、教室のドアが勢いよく開いた。
「おい!ミヤゾノちょっと来い!入学してからずっとお前のことが気になってたんだ!」
とんでもない言葉と共に教室に入ってきたのは、渡良瀬誘(ワタラセ イザナ)その人だった。
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