3.11を振り返る
前書き
どうも、心は今でも水戸市民のつくば市民です。
授業で震災の話題が出て、ふと当時のことを思い出したので書いてみようと思います。
まずは軽く自己紹介を。私は2003年2月に水戸に生まれ、借家から引越しはしたもののずっと水戸市に住んでいました。なので、水戸で震災を経験しました。
震災体験
私は2011年3月11日当時小学2年生でした。地震が起こった時、帰りの会の直前で、名札を教卓に返して席に戻る途中でした。突然ガタガタと揺さぶられ、慌てて机の下に潜り込みました。状況が非現実的すぎて、笑いが漏れてしまったことを覚えています。今思えばあれは自分の精神を守ろうとしていたのかもしれません。
揺れが収まり、校庭に避難しました。地面が割れ、日常の場が非日常になる中、号泣する友人を慰めていました。親が迎えに来て私は帰宅しましたが、学校で夜を明かした人もいたと聞きました。
母親と共に家に帰りました。いつもと同じ帰路、その風景は原型は留めていたものの、ブロック塀が崩れるなど、地震の大きさを物語っていました。
帰宅しました。概ねいつも通りの家、しかし、玄関のタイルにはヒビが入っていました。突然怖くなった私は毛布にくるまり、玄関から動けなくなりました。
少しして兄を迎えに行きました。8つ上なので既に高校生で、徒歩圏内ではなかったため車でしたが、所々道がとても混雑していました。ようやく帰宅し、近くの個人商店でカップラーメンを買い、それを夕飯に食べました。
後から母親に聞いた話ですが、兄は私がトイレを我慢しなくてもいいように、と自分はあまり飲み食いしなかったそうです。まだ16歳の兄がそこまで気を遣ってくれていたことにはありがたさと申し訳なさがありました。
数日の間、家族で1階リビングで寝ていました。この辺りの記憶はあまり残っていません。ただ、カセットコンロで沸かしたお湯で作ったカップラーメンが妙に美味しかったことを覚えています。
その後少しの間停電・断水・ガスの停止は続きましたが、割と早く復旧し、どこかふわふわとしながらも、いつもの日常に戻っていきました。
まとめ
私はあまり昔のことを覚えていない人間で、小学生の頃はおろか中高のことすら曖昧なことが多いですが、それでも地震が起こった瞬間とその直後のことは鮮明に覚えています。被害はそれほど大きくなかったとはいえ、やはり衝撃的な出来事だったのだと思い出しながら再確認しました。
辛いことは忘れるのが当然であり、そうして心は守られるものだと思います。しかし、社会全体として風化させないこと、また同じことが起こった時に被害を最小限に抑えられるように努力することは必要なことです。
と、何でもない日に当時のことを思い出したところで、この話を締めさせていただきます。
亡くなった方のご冥福と、被災者の方の安寧を祈って。
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