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【8/12】叱咤したった

・1700字強。


・叱咤。

・私は、学生時代に「叱られている学生は何も言い返せない立場であるのをいいことに、教員が必要以上に叱咤したり詭弁を押し付ける」みたいな場面に多々直面しており、それが人間嫌いに拍車をかけたと思う。

・こんな場面を見たことがある。教員が「自習してください」と言ったので、「椅子を持ち運んで他の学生と隣り合わせになり、問題を出し合う学生」が現れたのだけど、それに対して先生は「椅子を移動して良いなんて言いましたか?クラス全体でアンケートをとりましょう。椅子の移動をしていいと思っていた人は挙手してください。ほら一人もいない」というような𠮟り方をしていた。この𠮟り方の問題点は4つある。

1.「椅子の移動」が自習の定義内かどうかは人によるため、「椅子を移動していいなんて言いましたか?」の質問への答えは「椅子の移動という行為が自習の定義内かどうかによります」になる。しかしその「椅子を移動して良いなんて言いましたか?」という質問自体が「椅子の移動は自習の定義外だ」という反語的メッセージでもあるので、回答者の頭をバグらせる質問だ。「てっきり椅子の移動も自習の定義内なのかと思っていました」というのが模範解答なのだろうが、その回答を思いつくまでには時間がかかる。

2.クラスには常に「YESにもNOにも手を上げない消極的な人間」というのは発生する。そのため、「いいと思う人は挙手してください」と訊いたなら、「よくないと思う人は挙手してください」とも訊ねなければアンフェアである。

3.周囲の学生目線だと、教員の意図しない挙手をした場合に「自分も怒られる対象にされる」というリスクはあるが、ベネフィットは特にないため、必然的に全員が教員の味方をする。(実際、その場で手を上げた人間はゼロだった)

4.そもそもなぜ椅子移動してはいけないのかの説明がない


・パッと思い出せないだけで、今挙げたような理不尽な叱咤は数えきれないくらい目にしてきているのだ。

・詭弁、時間を与えられれば落ち着いて反論が組み立てられるのだが、会話では反論を組み立てる時間がない。その場で詭弁に屈したらそれっきりである。

・しかも、相手の詭弁を崩すのに時間をかけて理路整然と反論を組み立てられたとして、「言い訳に必死だな」「理屈っぽくて面倒」「怒られている立場の方が長文を話しているのはおかしい」みたいな空気になるのだ。なるでしょ。

・例えばの話、「学校給食のピーマンを残した児童を教員が叱っている場面」があったら、教員視点では以下のような詭弁が思いつく。

「それは配膳員さんを侮辱する行為だよ」
「給食を完食している児童は強欲だとでも言いたいのかね」
「残されたピーマンは泣いているよ」
「恵まれないアフリカの子供たちに失礼だ」
「これを君の親が見たらどう思うかな」
「君が”ごちそうさま”しないせいで皆が昼休みに入れないよ」

・これらにの詭弁に対して、児童が反論する図を想像してみて欲しい。学校給食。みんなが教室にいて、そのうち何人かはこちらを見ている。教員の短文の投げかけに対して、長文で答える児童。呆れる周囲。詭弁を覆すような完璧な説得ができたとて、「グダグダと屁理屈をこねているけど、君が悪いという事実は変わらないじゃん」みたいな空気にはなる。ならん?私が育った学校環境がそうであったというだけ?

・食べ物を残すという悪いことをしているのだからそれ自体で叱られるのは納得がいくが、尾ひれはひれのついた叱られ方をする筋合いはない。


・詭弁を指摘するというのは高い論理的思考力と高い言語能力を要する。なかなかできることではない。詭弁を指摘されたらまずは敬意と謝意を示すべきだとは思うのだけど、そういう風潮は世の中にはない。


・おかしいよ。「必要以上に叱責する」という行為が罪に問われない世の中が。おかしい。

・今私が文章化したような、世の中のちいちぇーちいちぇーバグも、指摘するメリットよりも指摘するデメリット(理屈を組み立てる労力)の方が大きくなるから、誰も指摘しない。


・やはり地球人は愚かカセね~。

・地球を滅ぼして火星に帰るカセよ~。

・ヒューーン


~Fin~

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