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TAMALA2010 感想

・1700字


・一時間半耐久して視聴したけどなんだよこれ

・世界観に余計な要素が多すぎるし、必要のない描写とか必要のないキャラもちょくちょく出ては消えて行くし、会話も噛み合ってなかったりするし、場面に合っていないBGMばかり流れるし、どれが回想でどれが本編なのか錯誤するほど時系列が前後するし、なんなんだ。

・本筋らしい本筋がなく、「いかにもシナリオに絡んできそうだけど全くシナリオに関係がない描写」だけでお話が進んでいく。「チェーホフの銃」という概念に限界まで反抗している。

・もっと、ボーボボくらい支離滅裂にしてくれれば「理解を放棄しよう」という気持ちにもなるだろう。しかしそうではなく、絶妙に理解できそうでできず、これから何かが始まりそうで始まらないラインを最初から最後までキープし続けている。

・10秒に一回くらいの頻度で「なんで?」が発生する作品だ。もしギネスに「なんで?密度が最も高い映画」部門があるなら載って欲しい。

・しかしまあ…絵とかアニメーションは単純に稚拙で、もしこれが狙ってやったローファイ的な表現なのだとしたら技術不足すぎる。Cupheadくらい本気でローファイして欲しい。


・物心がついたばかりくらいの頃、映画をどういう気持ちで見ていただろうか。なんか作中のキャラが怒ったり泣いたり笑ったりしていることだけはわかるけど、どういう文脈で、どういう目的でそうなっているのかはわからなかったのではないだろうか。なぜかアンパンマンの元気が3倍にしかならず、なぜかルパンが時計塔で指輪を渡し、なぜかドラえもんズが開放されてゆくが、その意味は理解せず、「たぶん意味のある映像が流れているのだろうな」ということだけ漠然と理解し、まどろみながら雰囲気だけ楽しんでいた。

・しかし時は流れ、ワーキングメモリーと読解力のある大人になってしまった今、その「まどろみながら雰囲気だけ楽しむ感覚」を再び覚えることはできないのではないだろうか?という問いを、私は抱いたことがある。

・この作品の監督もその問いを抱き、それに否と答えるような作品を作ったのだろうなと思った。TAMALA2010の視聴中にその作意に気づいた途端、それまで無秩序に見えていた映像も、計算づくで作られているような気がしてきた。「実は計算されているといった雰囲気だが、実は何も計算されていないシナリオである」という雰囲気になるよう計算されている。これは真似したいとは思わないが、しかし真似しようと思ってもできない。

・エンディングが流れ始めたときマジで全部の意味がわかんなくて、未就学児の頃にハウルの動く城を見たときと同じ感情になった。

・オチが宇宙に投げっぱなしだったのは、マジで視聴者の精神を宇宙に投げっぱなしにするために計算してやっているとしか思えない。全体的にスローテンポなのも、視聴者を眠くさせるためにわざとやってるとしか思えない。

・私の読解力が高いから諸々汲み取ってあげられたけど、普通にほとんどの視聴者には伝わってないからな!(傲慢)(過信)


・レビュー欄でみんなが困惑しながら低評価していて最高。

 石や木目に「3つの点」があると人間の脳はそこに「人の顔」を見出そうとします(シミュラクラ現象というらしい)
 同様に、意味不明な物語、理解不能な展開に対峙すると、人間の脳はそこに「何かの意味・スートリー」「自分なりの解釈」を見出そうとするようです。
 ・・・・たとえ、それが元々「意味のない」ものにも。
赤ちゃんの落書きも立派な額縁に収めれば前衛芸術として賞賛する人間があらわれるのだから、世のなかは楽だね。
世の中には「表面上は同じに見えても実際は全く違う事象」というのがとても多くある
・ランナーAと同じ位置にいる一周遅れのランナーB

~(中略)~

意味があってワザと意味を無くしてるタルコフスキーのような芸術映画と、それっぽくしてるだけでほんとに意味の無い単なるオシャレ映画は似てるようで全く違う
本物のルイヴィトンと中国産のニセモノのルイヴィトンくらい違う

最高。


これ以上TAMALAを視聴すると本当に若年性アルツハイマーにでもなってしまいそうだ。


(追記)

この文章を見返していたらなんか私がTAMALA2010を酷評しているだけの文章に見えたので弁解しておくが、私はこの映画を100点中70点だと思っている。長所も短所もデカすぎる。

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