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【7/21】申し遅れた猛暑

・1500字弱。


・とりあえずnoshから届いたやつは全部食べた。

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・毎回、一口食べてから「そういえば写真を撮るんだった」になる。

・味は中の下だけど、健康的な味だ。


・ゴキ

・チャチャ、そういえばペットボトルで飼い始めた当初は、ツルツルの壁に慣れていなくてしきりにひっくり返ってはバタバタしていて、その度に私がひっくり返し直してやる必要があった。しかし日を重ねるごとにそれが減り、普通に壁や天井を歩き回るようになった。学習能力があるらしい。

・腹を左右に揺らしたり、腹をカユイカユイしたりする頻度が増えた。何だろう。怪我?病気?悪寒?空腹?発情?

・ゴキの言葉がわかればいいのに。


・というわけでドクター・ドリトルを観ました

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/0LH2RH2LKN03PSC5X3BC3U629L

・動物や虫の言葉がわかる医者が冒険する話です

・これはアレだな。私がポケモンに対して感じていた不満を全て取っ払ったような作品だな。ポケモン映画の100倍は面白い。

・ポケモンに対する不満点を3つピックアップするならこうだ。

「ボールに入れて持ち運んでいるので所有物感が強く、ポケモンと人間の上下関係が暗黙的にある点」

「ポケモンは人間の言語を理解できるが、人間はポケモンの言語を理解できないので、どうしても人間がポケモンに一方的に意見や命令を投げる割合が多くなる点」

「オリキャラ生物による抽象的な攻撃と抽象的な非ダメによってお話が進むので、融通の幅が効かせやすすぎるというか、ご都合主義でお話を進めやすい点」

・そしてそれらの不満点が取っぱらわれたような作品がドクター・ドリトル。


・説明的すぎる描写はリアリティを下げると思っていて、それは作者の力量不足によって発生すると思っている。もしそれが子供向け作品でなのであれば、説明的すぎる描写が多めの方が子供が理解しやすいのだろうが、それはあくまで子供向け作品上での話だ。

・例えばドクター・ドリトルでは、キャラが「どうしよう、とっても怖い」とか「俺はあいつに復讐するぞ!」的な独り言を言うことで感情を説明するセリフが複数あった。しかし、私たちは現実でそんな独り言を言うだろうか?

・例えばポケモンバトルのシーン中に「おかしい!こちらが相性有利なのに技が聞いていないみたいだ!それなら別の技で…」というセリフがあったとする。それはフィクション内だから許されているが、現実世界に生きる私たちはそんな「視聴者に対して自分の思考を説明するようなセリフ」は言わない。

・独り言を言うことで視聴者に何かを説明するようなセリフが好きではない。人間は一人きりでいるときは基本的に言葉を発しない。いや独り言を言う人間は確かにたまに現実にもいるけど、リアリティはない。何かを視聴者に対して説明したかったら、一人ではなく二人にすべきだ。あるいは、一人がメモ帳に思考をメモしている様子を移すとかでもいい。

・そういった説明的すぎるセリフを入れるかどうかがお話のリアリティを左右してくると思うのだよね。夏目漱石は自身の小説作品内に「我君ヲ愛ス」というセリフを入れるだろうか?

・パイレーツオブカリビアンとかMARVEL作品とかは「独り言」が全くなかった記憶がある。「作者が視聴者にフィクション作品を見せているのですよ」という姿勢を極力隠し、「フィクション作品内で本当に起こっている映像をカメラが拾っているだけですよ」という姿勢でのセリフ回しだ。


・Cupheadの話も書こうと思ったけどもういい文字数なので次回


・おわり

・私の中で没になったたダジャレ「清少納言に、たいそうな御恩」




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