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【2/3】そうさ苦しいよ創作は

・2800字弱


・賭博堕天録の方のカイジ

・バカッ……! あまりにも……!

・またしても……! してやられた……! もう四度目……!

・最初の三巻無料に釣られて読んだが最後、その先はアリジゴク……! あるいはチョウチンアンコウ……!

・どこまでも金を巻き上げられる……! 福本伸行に……!

・一億円、二億円が動く漫画を読んでいると……ついおろそかになる……! 手元の400円が……! 塵も積もれば山となる……気づいたときにはスッカラカン……!


・全てが理屈で固まっていて、作者はマジでミステリ作家くらい頭がいいなと思った。普通の漫画なら「謎」を残すことで読者の気を引き、あとからその謎が回収されるような伏線の張り方をするけど、カイジの場合、違うこともある。一旦は納得したイベントが実はフェイクで、あとから真意がわかるような伏線の張り方をしたりする。二重底。

・頭脳戦を描くにあたって、「運よく気づいた」とか「運悪くうっかり見逃した」みたいな、作者の裁量でどうとでもなるような不確定要素って排除されるのが基本なのだけど、カイジはそういう不確定要素も描くのだよね。しかし「なぜ運よく気づくことができたのか?」にも理由があるし、「なぜ運悪く見逃したのか」にも理由がある。必然によって引き起こされる偶然なのだ。

・本当にお見事としか言いようがない、ロジックで固められたお話だった。


・漫画を読んでいると「このあとどちらが優位に立つかという結果」は話の流れから察知できる。

 やはり読者を驚かせるのが目的の漫画である以上、味方側が「コイツがここでアレをし、俺があそこでコレをすれば勝てる」みたいな作戦会議をした場合、それは失敗に終わることが多い。読者に予想をさせておいて、それを裏切る。それが意外性。予想外性。いわゆる「死亡フラグ」と呼ばれているものと同じ。

 逆に、仲間同士でヒソヒソと作戦会議をして、その内容が読者には伏せられている場合、それは成功に終わる場合が多い。ネタを明かしてから実行するのでなく、実行してからネタ明かし。それが意外性。

 ある程度その辺を理解していれば、何の作品を鑑賞していてもそういうメタ情報からオチ自体はある程度推測可能ではある。

 作意をよく嗅げば、アナ雪を見ていて、クリストフがアナを助けたあたりで、ハンスがヴィランであることも推測でき得る。

 勝つか?負けるか?生きるか?死ぬか?といった結果自体は創作においてさして重要なことではない。そもそもカイジのように続編のある漫画の場合、続編が出ているというメタ情報から、カイジが死なないことは推測可能なのだ。創作的価値は結果ではなく過程に懸かっている。



・バケモノの子

・なんか、私って「はいここが泣き所ですよ」とわかりやすく演出されたシーンで感動することができないな。

 そうやって「種無し梅」とか「骨抜きサンマ」みたいな咀嚼しやすい加工はせず、ちゃんと味の方で勝負して欲しい(個人の意見です)。

 とは言っても、カイジとかは「はいここが緊張し所ですよ」とわかりやすく演出されてるのだけど、私はそっちはちゃんと緊張してしまうし好きなのだよな。なぜだろう。ちゃんと緊張に値するだけの情報量とか説得力があるからだろうか。

・悲しいシーンで、主人公を泣かすことで視聴者の「つられ泣き」を狙う作品がよくあるけど、それも卑怯な気がしている(個人の意見です)。主人公が涙を流していないのにしっかりと哀愁や残酷さの伝わってくる作品の方が好きだな。

 私は「キャラが走ってる~」じゃなくて「作者がキャラを走らせてる~」という観点でしか作品を見れない……



・話は変わるようだけど

・桂歌丸師匠はオリコンニュースの取材でこう話したことがある。

「失礼ですけど、日本語を使わないで笑いを取っている芸能人の方が大勢いるじゃないですか。これも、言っちゃ失礼ですけど裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか。私は違うと思うな」と、アキラ100%のお盆で隠すネタをバッサリ。
 続けて「ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです。やっぱり日本の言葉を使って笑いを取るのが芸人であり、我々、噺家だと思いますよね。だから大いに日本人に聞いていただいて、日本語というものを、もっともっと理解していただきたい」と静かに熱く語った。

 ネットを見ると、この発言の文意が全然理解されていないみたいだし、それどころかその意見を曲解した反論も散見された。

・桂歌丸さんは、「この程度喋れば伝わってくれるだろう」と思ってあまり多くを語らなかったのだろう。それに私は共感できたので「別に歌丸さんはアキラ100%さん個人をバッシングする意図はないからぼかした表現にしたのだ」と理解できた。しかし共感できない人からすると「ただアキラ100%を暗に揶揄したいだけ」と受け取れるのだろう。

 それは読解力が低いから文意が読み取れなかったわけではなく、共感できなかったから読み取れなかっただけだと思う。起こるべくして起こった仕方のない曲解だ。


・私は、漫才やコントも含む「全ての創作活動」って、頭を使わなければできないし、頭を使わなくてはいけないものだと思っている。

・星新一先生のアレと同じよな。

無から有を生み出すインスピレーションなど、
そうつごうよく簡単にわいてくるわけがない。
メモの山をひっかきまわし、腕組みして歩きまわり、溜息をつき、
無為に過ぎてゆく時間を気にし、焼き直しの誘惑と戦い、
思いつきをいくつかメモし、そのいずれにも不満を感じ、
コーヒーを飲み、自己の才能がつきたらしいと絶望し、
目薬をさし、石けんで手を洗い、またメモを読みかえす。
けっして気力をゆるめてはならない

 私はこのマインドだ。だから私は、ザコ………ウさんとか、サンシャ………崎さんとか、とに……明る……村さんのように、頭を使わずにノリと勢いだけで笑いを取る方々があんまり好きではない。

 いや、正確に言うと彼らのことは別に何とも思っていないのだけど、「それを面白いと思って持ち上げに持ち上げ、落語よりも話題になるほど流行らせている視聴者」は気に入らない。

 別に良いとか悪いとか、アレをしろとかコレをするなとか言いたいわけではなくて、単純に気に入らないというだけの話。

・笑点メンバーは頭を捻りに捻って、努力してあらゆる角度からの笑いを稼いでいるのに、それよりも、ただの裸芸をしている芸人の方が人気である。その感性の乏しい視聴者たちが、歌丸さんは気に入らなかったのだろう。

 という私のブログのような長文の意見を垂れるのも品がないので、それを歌丸さんは揶揄的な短文にまとめた結果、民衆には曲解されてしまった。しかしアキラ100%さん一人のことを名指しでバッシングしたつもりはなかったと思う。


・おわり




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