今の東京の地下鉄路線図を昔の様式で描いてみる(その2)

さて、続きを描こうと思ったものの、三田駅周辺をどうするかという問題がある。実際の路線のように、浅草線を北東から南西へ向かうように描き直せばいいのだが、どのように描いたものか。ここで、路線図の歴史を遡ってみることにした。下の図は1974年の路線図を模写したもの。

東京地下鉄v70s

1970年台前半の路線図では以降と比べて山手線が南北方向に長く、浅草線(当時は都営1号線)は三田駅を斜めに走っていた。この時のままだったら三田線(都営6号線)も三田駅から真っ直ぐ目黒駅に向かって描けそうである。このときの山手線の形状や一部地下鉄線の形状を残しながら続きを描いてみたのが下の図である。

東京地下鉄v70s

有楽町線は池袋から四ツ谷まで真っ直ぐの方が美しいが、後のことを考えてあえて元の形状を残している。この続きで1996年まで描くと下図になる。

東京地下鉄v70s

1997年には大江戸線と南北線が延長した。南北線はほとんど問題ないが、大江戸線の経路周辺は大幅に変更する必要がある。下図のようにしてみた。

東京地下鉄v70s

西武池袋線と西武新宿線の間と、丸ノ内線の新宿駅と中野坂上駅の間を空けた。新宿駅は分けなくても描けそうだが、後の展開と連絡の有無を考慮して分けることにした(説明箇所の他にも変更点はあるが、省略する)。

この次の大きな変化は2000年の三田線・南北線の延長と大江戸線の全通である。

三田線を三田駅から目黒駅まで単純に伸ばすだけだとバランスが悪くなるので、周辺の路線は少しずつずらした(三田線と南北線でホームを共用する白金台駅は乗換駅表示にしていない)。また、東横線を目黒線と接続させた。大門駅は大江戸線ができたことによって浜松町駅と近づいたため、乗換駅の表示とし、隣の三田駅-田町駅もこれに合わせ、ついでに中延駅も大井町線との乗換を表示した。東の方では両国駅と森下駅の間が大きく空いてしまうため、少しでも近くなるように総武線を下方にずらした。さらに、丸ノ内線の形状を変えないようにするため、山手線の池袋駅〜高田馬場駅間を西方に少しずらした(有楽町線の形状を残したのはこのため)。

次の変化は2003年の半蔵門線全通。

総武線や東西線を東に拡げ、新宿線の住吉駅〜本八幡駅の形状をなるべく変えないようにした。

最後の大きな変化は2008年の副都心線全通。下図には副都心線が東横線〜みなとみらい線に乗り入れた2013年の路線図を示す。

明治神宮前周辺にスペースが必要になったため、再び山手線を西方にずらした。なお、2008年の日暮里・舎人ライナー開業について、同じく都営線である都電と合わせて表示した。また、2010年の京成線と京急線の延伸により、浅草線を介して両空港がつながったことも反映した。

以上のように変化させていくと、2023年3月(東急新横浜線開通後)の路線図は下図のように描けた。

果たしてこれが美しいと言えるか自信は無いが、少なくとも「あのときのまま」でも続けることはできた。昔の雰囲気を残しつつ、ある程度整理された路線図になっているのではないか。

ちなみに、図をクリックすると大きく表示され、左右の矢印をクリックすると別の図に切り替わるので、変化したところを見比べることができる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?