初心者だったころに考えた「太極拳の要諦」

 一階の片付けを進めているので出て来た「ペンギンブック」を読み返す。日本マイム研究所、忘れてた無極靜功、斐図先生、ジャワ舞踊、そして太極道養生学研究社。(細川さんのマイムとカンフーアクションは記録に無い)(ネットで調べてしまった。佐々木先生はおそらく80歳くらいだが動画も出してまだ若々しい。薜永斌先生はオーストラリアに移住。斐図先生も活動中のようだが歌を歌ってて驚き)。痴半先生から習ったことは残念ながらほぼ形や動き方しか記録していない(いくつかは自分なりに考えたワークが書かれている)のだが、最初期の記録に次のようなものがあった(2004年末の記録)。

 太極拳の要(身法)とは? 円・螺旋・球の動き。上虚下実→肩のリラックス、仙骨の椅子、鼠径部のゆるめ。流れる速度。流れる速度。身体地図としての陰陽。動きとしての陰陽生滅。経絡を通る力の伝達。内臓の影としての腕。

 要諦を網羅するつもりで書いたのかどうかは不明だが、初心者の考えていたことが残っていて面白い。

 次のページにはこのようなメモも。
「脚はプロレタリアートであることと、脚の自由化の一過程について。その両立の為には意識は脚ではなく、彼らの主たる腰に集中させる。その事によりプロレタリアートとして従いながら同時に本当の自由なふるまいを許される」 
 
詩的にして素敵な文章! プロレタリア革命でも起こそうとしてこんな表現をしたのかしら? その下には下手な図とともに下丹田を「身体の中心点(動きの支点にする)」、会陰を「意識の中心点(動きの先端にする)」、股関節と膝と足首と足の指を「8ヶの自由化」と書かれている。
 今ではこんな身体意識を解剖的に分析・言語化することはなくなったが、この頃は甲野善紀や高岡英夫の本を漁るように読んでいた時期なのだ。

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