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3年振りの帰省

 2022年のGW、3年振りに実家に帰省しました。3年振りとなったのはコロナの感染が収まっていなかったからというのもありますが、自分がワクチン接種後、長期副反応が続き体調がよくなかったからというのが大きかったです。2021年末にも帰省を考えたのですが、特に寒さの中で体調管理が難しい傾向を感じていたので、東京よりも寒い所への帰省は控えざるを得ませんでした。

 GWは天気もよく、体調を万全に整え、荷物は前日に宅配便で送るなどできるだけ身体の負担がない方法を考えておいたのでスムーズに帰省することができました。飛行機の搭乗時間は1時間、そこから乗り合いタクシーで1時間強でしたが、乗り合いタクシーにのっているうちに頭痛が強くなってきました。そこは想定していたとおりだったので大丈夫でした。飛行機に乗って変な頭痛が出ないかなどは少し心配でしたが、特に気圧の変化とかそういったもので調子を崩すことはありませんでした。飛行機自体、フロリダに出張にいった以来2年5か月ぶりで多少、感慨深いものがありました。

 実家につくとまず両親に自分の体調のことを伝えました。血液検査や末梢神経伝達速度試験などで異常がないことを伝えると、父親が「そうすると精神的なものかと思ってしまうな」と言ったので、「コロナやワクチンの後遺症はそうやって精神的なものと決めつける人がいるけどそうではない」というところから説明しました。また亡くなってしまっても因果関係不明で補償金が支払われないケースがほとんどであることなども知らないようでした。周りにはワクチンを接種してずっと体調不良になっている人が2人ほどいるようでした。

 いつも実家に帰ると近くに住んでいる爺ちゃんのところに顔を出すようにしています。今回行ってみると爺ちゃんの漢文の話が始まりました。白居易の有名な漢文です。この一文を見てはっきり覚えていませんが、昔、漢文の授業で習ったような気がしてきました。

日 高 睡 足 猶 慵 起

日が高く昇って睡眠が十分でも、だるくて起きない。
みたいな意味だったと思います。いい感じに布団の中で気だるい感じになっているというようなことだったと。

爺ちゃんの話はだいたい漢文の解説だけでは終わらず、この漢文に出てくる地名を世界地図で調べるというところまで続きます。「タイコ」というところを調べろ」と言われ、索引から調べます。地図帳で場所を調べるなどということは高校生の時以来、爺ちゃんの家にきたときくらいしかやらないので、30年くらい前に戻ったような気持ちになります。(図中中央、太湖)

 そして白居易の話が終わったのでそろそろ帰ろうかと思ったら、次は日本の漢学者の頼 山陽(らい さんよう)の話になりました。その人が残した漢文にも有名な一節があります。

吾 敵 正 在 本 能 寺

わが敵はまさに本能寺にあり

自分は日本史専攻ではなかったのであまり詳しくないのですが、明智光秀が自分にとっての敵というのは当時仕えていた織田信長であって、本能寺にいるのだ、という一節だということです。漢文の説明を聞いていて、それぞれの一節が誰の視点なのかがいまいちわからなかったので、爺ちゃんにききましたが、頼 山陽が明智光秀が考えていたことの立場になって書いた一節だということでした。
最後はでも、本当の敵は備中(岡山県)にいる豊臣秀吉だったのだよ、という一節で締めくくられています。

敵 在 備 中 汝 能 備

漢文は何ということはないのですが、こうやって落ち着いて見てみると、当時の明智光秀の過ちや油断をきれいに表現しているように思いました。


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