コーヒー

コーヒー

ここのところ、というかここ1.2年は夜に温かい飲み物を飲みたくなった時はコーヒーを飲むことが増えた。

以前は温かい飲み物が飲みたくなった時といえばココアやほっとレモンなんかの甘いものを好んで飲んでいたが、今はココアとコーヒーのどちらを飲むかと言われたらコーヒーと答えることの方が多いだろうとおもう。


そもそもコーヒーしかり、タバコしかり、お酒しかり、大人になるとなぜこんなにも苦いものを好むようになるのか。

理論上では、子供のうちは苦いものに対して毒物的な反応を感じて不味いという拒否反応を起こしてしまうが、大人になるにつれ体が慣れてくる事が原因とされていると聞いたことがある。
つまり、『大人になった』そう捉えられるのかもしれない。

だが私自身、自身が大人だと思ってはいないし思いたくないとまで思ってしまっている自分がいて、たまに「大人とは何なのだろう」と考えてしまう。


極端な例だが、タレントの黒柳徹子さん。
彼女はとても自由奔放で天真爛漫な方だ。
そんな彼女は87歳となった今でも、まるで少女のような言動で周囲を楽しませ、自身も楽しく生活をしている。
長い人生辛いことも多くあったというが子供のような目線で、興味や好奇心を忘れず日々を楽しく過ごしている。

彼女が"まるで子供の様な人"と言われるのは『日々、新しい事への好奇心や興味を持ち続け、楽しい事を最重要として生きている』ことにあるのではないか、と思った。


話を戻すと、
大人とは見た目で示されるだけのものなのではないだろうか、と思う。
"大人になっても子供のような人"がいてもその人の性格を知らない他人からしたら"ただの大人"としか見られないのである。

そうなると大人と子供の境界とはなんなのか、という話になるのかもしれない。
それこそ今の話から結論付ければ『見た目が大人なら大人』という結論に至るだろう。
もちろん、童顔な人や低身長の人など例外はあるのかもしれないが平均としてその考えは一概に間違っているとは言えないのではないだろうか。

なにを当たり前のことを、と思うかもしれないが私は鏡の前に立っても自分の事を未だに大人だと思えない。
だが第三者から見れば私は"大人"なのだろう。

そんなことを考えながらコーヒーを飲む。
するとなんとなく「あ、俺って大人になってんのかなぁ」と、少し認識させられるのである。
もしくはその逆、大人であると認識するためにコーヒーを口にしているのかもしれない。


ちなみに私は最近毎日コーヒーを夜、寝る前に飲んでいるのだがそれには理由がある。
私には毎日飲んでいる薬があるのだが、ここのところ元から調子の悪い胃がさらに悪化し薬を飲むことを拒むかのように腹痛を起こすのだ。

曰く、温かい飲み物で薬を胃に流すと服痛になりにくいらしく、試したところ効果的面であったためここのところはコーヒーで薬を服用している。
本当は白湯がいいのだろうけど、味がした方が美味しく飲める。

そんな時ふと私は「歳かなぁ、おじいちゃんになったなぁ」と思ったりしてしまう。

そこで私思うのだ、
『おじいちゃんとは一体なんなのだろう』 と。


体が痛い👴

2021.1.28 茂木もきち

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