「誰かのため」に作る、って
惚気回です〜ぱちぱちぱち〜〜!!!!
嘘です、いや嘘じゃないけど別に惚気だけを言うためにnoteを書いてるわけじゃないのでブラウザバックするのはちょっと待ってね。
そういうわけで(どういうわけで)、今日はほんの最近の出来事と感じたことを日記のごとく書こうかなって。
先日、他府県に住む知り合いの家をハシゴした。早朝から働いて、退勤後に高校の時からずっと親しくしてくれている友達の家に、友達の家を出た後に彼氏の家に。
(余談だけど無理しかないシフトと過密スケジュールで有名なもぎです。活動日にはとことん活動して、オフにはほんとに何もしたくないタイプの人だったりする。)
そして友達と彼氏と、それぞれが手料理を振舞ってくれまして。これってなかなかなくない?私が友達を招く時もデリバリーとか外食に頼っちゃうし、人の家に行く時も案外料理を作ってもらうってあんまりしたことないなって。
で、そこで何に驚いたって、そしてふたりして朝から仕込みをしてくれていたらしい。わざわざ、私が食べる料理を作るために。そう、私のために、だ。
招かれた私が言うのも失礼な話だけど、そんなめちゃくちゃ手の込んだ料理かと言われるとそうじゃない。でも簡単な料理でも、それはたしかに「私のために」作ってくれた料理なわけで。私が家に行くのだから当たり前っちゃ当たり前なのだけど、「誰かのために」料理を作るってめちゃくちゃ素敵なことだな、って感じた。
友達は「知り合ってすぐにもぎが生姜焼き好きって言ってたから、料理振る舞うことがあったら絶対生姜焼き作るって決めてた」と言って貰えたし、彼からは「もぎが食べるって思ったらめっちゃモチベ湧いたし気合い入ったわ」って言って貰えた。
これらは全て無償の愛なわけで、私はふたりに料理に対して何もしてあげてない。何もしてあげてないのに、「私を喜ばせるために」料理を作ってくれたんだなぁ。
そうやって無償の愛を与えてくれるふたりにとって、「私の喜ぶ姿」がモチベーションになるのってなんか嬉しいなぁ、愛されてるんだなぁ、幸せ者だなぁ。
その日は前述の通り過密スケジュール(割といつも)だったし睡眠不足(これもいつも)だったので、正直めちゃくちゃ疲れてた。けど、ふたりの手料理を食べながらそんなことを考えてたらそんな疲れ本当に吹っ飛んじゃって。料理そのもので得られる元気とは違う、「誰かが私のために作ってくれた料理」だからこそ得られる元気って言うのかな。とりあえずそんな感じで、めちゃくちゃ多幸感に満ちた日でした。
料理が苦手な私だけれど、いつかふたりのために手料理を振舞ってあげたいし、もちろん料理以外でも、色んな人に無償の愛を振りまいていきたいなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?