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「お茶、淹れられますか?」


私が何度も浴びせられた質問だ。お茶を淹れる、といっても「紅茶の茶葉のうまみを最大限に引き出す」だとか「中国茶を茶器まで吟味して用意する」といったことではない。

オフィスに来客がある。ごく普通の緑茶を、ポットかやかんのお湯で淹れて出す。それだけのこと。

私は、それが「できない」人間だと思われていた。否、「したくない」「してくれない」人間だと思われていたのだ。


■旧帝大卒、大手企業→非正規

私はいわゆる「旧帝大」を卒業し、新卒で大手IT企業に入社した。ITといっても開発現場ではなく、企画だとか品質管理だとか、少し変わった職種についていた。仕事は面白かったが、深夜までの激務続きで体調を崩し、2年で退職した。
半年ほど療養した後、母学のすぐ近くに舞い戻り、フリーランスの家庭教師と塾の契約講師を掛け持ちして食べていた。
ところが結婚した相手が1年、2年というスパンで他県へ異動する転勤族だったため、家庭教師を続けられなくなった。受験まで責任を持って指導できない可能性があるというのは、フリーランスでは致命的だからだ。
結婚後しばらくは、料理やパン焼きを習ってみたり、ハンドメイドに凝ってみたりと「あたしったらマダムだわ……」と気取っていたが、そんな生活が性に合うはずがない。
猫を拾い、ペット可アパートへの引っ越しや医療費で貯金を使い込んだのをきっかけに、再就職することを決めた。
話が前後するが、新卒で入社した会社で私は少し変わった資格を取っていた。内容に大幅な変更があり、今では全く役に立たないのだが、当時は非常に重宝されていた。
派遣会社や人材紹介会社にアポイントを取ってみると、最初は目を輝かせてもらえるものの「1年で転勤するかもしれない」というと、当たり前だが渋い表情を向けられる。半月、1か月といった短期の仕事しか紹介してもらえなかった。
ハローワークで相談したところ「官公庁や関連団体の任期付き職員はどうでしょうか」とアドバイスされた。
「任期付き職員」は「非常勤職員」だとか「パート職員」と呼ばれることもあり、だいたい「3か月」「半年」「1年」といったあたりで契約が切れる。契約が切れたら終わり、というところもあれば、契約更新を繰り返して十数年勤務するところもある。昨今「役所が不安定な雇用環境を作り出している」と問題視されているのは、この「契約更新を繰り返す任期付き職員」のことだ。
是非は置いておいて、私が任期付き職員を探したことに話を戻す。
検討の結果「半年で終わり」というところに応募を決めた。仕事内容は「受付・電話対応・来客対応・その他事務補助」。
「雑用のアルバイトですね」
と言われたが、雑用でこの時給ならウハウハじゃないの、としか思わず、紹介をお願いした。履歴書と職務経歴書は面接のときに持参してください、とのことだった。


■かみ合わない面接

面接は翌日だったか、翌々日だったか、紹介されてすぐだった。
採用担当は総務の職員さんだったが、私の履歴書と職務経歴書を一瞥するなり、とても難しい表情になった。
ITを2年で辞職したのがまずいのだろうか、フリーランスの家庭教師を「虚業」とみなされた(親族にはそう思われていた)のだろうか、と不安になる私に、総務の職員さんも不安そうな口調で言葉を発した。
「はっきり申し上げますが、この仕事は100%雑用なんですよ」
「ハローワークさんで、そううかがっております」
「電話とって、職員に繋いで、あとはお客様が結構多いので、お茶を出してといったのがメインです」
「はい」
お茶、淹れられますか?電話、取れますか?
「???はい、大丈夫です」
ビジネスマナーを不安視されているんだ!と早合点した。今はどうだか知らないが、当時のITは大手でも「ラフな企業風土」とみなされており、親戚の集まりで「Tシャツで仕事してるんでしょ」と聞かれた経験があったからである。
「来客対応もしておりましたし、技術セミナーの受付も担当しておりました」
総務の職員さんは、まだ不安そうだった。
雑用ですよ?コピー取りとか、切手貼りとか、掃除とか……
何が不安なのか、その時は全く理解できなかった。「雑用だと聞いている、ビジネスマナーは身に着けている、大丈夫」の3点を繰り返し、どこかかみ合わないまま面接は終わった。
これは不合格だな、と肩を落として帰宅したのだが、翌日「合格です」と連絡があった。あの面接は何だったんだ、と思いつつ、初出勤の日を迎えた。


■「お茶も淹れてくれないような人」

仕事内容は聞いていた通りで、朝は掃除から始まり、電話を取って担当の職員さんに繋ぎ、来客があれば案内してお茶を出す。喫煙スペースの灰皿の掃除や郵便物の発送、書類のファイリングもしたし、名刺の整理を頼まれることもあった。特に疑問を感じず仕事をこなし、半月もする頃には職員さん全員と軽口を叩く仲になった。
気楽だわー、ぎすぎすしてないし、業務量は少なすぎて暇なくらいだし、と鼻歌交じりにポットを洗う私に、年配の職員さんが声をかけてきた。
「いやあ、〇〇大卒の、おっきな企業でバリバリやってた人が来るって聞いて、俺、総務に怒ったんだよ。お茶も淹れてくれないような人採ってどうするんだ!って」
はい?
尻上がりの声が出た。年配の職員さんは笑っている。
「でも来てもらったら、何の文句も言わずきちっとやってくれるから、本当に『できる人』なんだなって思い直したよ。俺もまじめに仕事しなきゃなあ」
茫然とした。「ぎりぎり戦中世代」の職員さんだし、きっと何か勘違いしているのだろう、と思いたかった。しかし、周囲の職員さんはみな同調した。年下の職員さんまでも

半年が経ち、契約が終わった。職員さんは別れを惜しんでくれたし、私も寂しかった。けれど「お茶も淹れてくれないような人」という言葉は、魚の骨のように刺さったままだった。
契約が切れてすぐ、夫の故郷に近い街に引っ越した。これでしばらくは狭い範囲の異動で済むし、私も夫も少し疲れていた。単身赴任は避けられないが、落ち着く場所を作ろう、猫も増えたし、と、家を建てた。
ローンの返済もあったし、もう引っ越さなくて済むのだから、と、仕事を探した。

短期派遣でお世話になった会社からIT企業に派遣されたが(ITあるあるの法律違反の嵐につき自粛)ほとほとくたびれ果て、最初の契約更新を断って辞めた。
もうITは嫌だった。短期派遣や、事務補助の仕事を経験してわかったが、私は「アシスタントの仕事」をするのが好きだったし、夫曰く「ものすごく適性がある」とのことだった。けれど「お茶も淹れられない人」という言葉はやはりひっかかっていた。
アシスタントの仕事ができる。それをアピールするためにはどうしたらいいか。アシスタントの資格を取ればいいんだ。
3か月後、私は秘書検定準一級の合格通知を手にした。そして紹介予定派遣で「ほぼ管理職のアシスタント」という事務職に応募した。営業さんの話によると「OSの入れ替えやサーバー管理ができると助かる、ということで、競合している方はそちらの知識がないとのことですので、絶対有利です」とのことだった。一次面接(派遣の面接は違法だけれど)も好感触で、役員に「ごあいさつ」をしたら決まる、とのことだった。
が、まさかの不合格だった。営業さんが「お口が滑り台・オブラートに包めない」タイプで、不合格の理由を火の玉ストレートで教えてくれた。
「役員の方が履歴書を見て『こんな高学歴で資格もいっぱい持ってる女に、お茶を出せとか掃除をしろとか言えるか』とのことでして……」
秘書検定準一級が、学歴と職歴と資格に負けた瞬間だった。(韓国語検定4級は、派遣会社に黙っておくべきだったかなあ)と訳の分からない後悔をしつつ、私は「またよろしくお願いします……」と電話を切った。

その後「営業事務で受かった会社が、入社直前にリーマンショックで会社更生法適用」「新規に登録した派遣会社に『ITお断り』と言ったのにITごり押してくるのでコーディネイターと大喧嘩」といった紆余曲折を経て、とある官公庁の任期付き職員に応募した。
ここもダメかな、とあきらめ半分だったが、面接をしてくれた係長さんはこう聞いてくれた。
「総合職でご活躍できそうな経歴なのに、アシスタント業務に応募された理由は何ですか?不景気だからですか?」
違います、とはっきり答えた。学歴も職歴も、IT在籍中にとった資格も関係ない。アシスタント業務に適性があると思っている。それをアピールするための秘書検定準一級だ。
係長さんは深くうなずいてくれた。採用になった。
線維筋痛症にならなければ、今もあの職場で契約更新を繰り返していたかもしれない。


■「エリートの虚像」が生まれる土壌

母学は1学年2000人程度の学生が在籍しており、在校中は上級生や下級生を含めて3桁の人間と交流があった。が「お茶も淹れてくれなさそう」な、つまりは学歴や職歴、資格を鼻にかける傲慢な人間は、1人しか思いつかない。その1人は高校時代から傲慢で問題を起こしていたらしいので、大学入学以前の問題だろう。
ひとつ、面白い話がある。新卒の同期で、育児に注力したい、とアシスタント業務メインの子会社に出向したり、転職して弁護士事務所や会計事務所の事務職に就いた女性が数名いる。彼女たちは私と同等か、それ以上の学歴、資格を有しているが、mixi(当時)で「お茶淹れられないでしょって言われた」とぼやいた私に「そんなこと、一度も言われたことがない」と驚愕したのだ。
何が違うのか。彼女たちが働いているのは、東京か大阪であり、私が働こうとしたのは、県庁所在地であっても50万人を切る地方都市ばかりだということだ。
最初に職探しをした時、長くその街にいる夫の友人に、こう警告された。
「こっちの人は、高学歴の人を知らないから怖がるよ。まともに仕事したいなら、東京か(母学のある街)に帰った方がいい」
身近にいないから、テレビドラマや小説、漫画の作り出した「鼻持ちならない高学歴、傲慢なエリート」というステレオタイプを信じ込んでしまうのだ、と。
夫の友人の言葉は、おそらく当たっている。半年で終わった最初の職場は、地方都市でしか勤務したことのない職員さんばかりだった。紹介予定派遣の会社も同じだ。最後に採用された職場は全国転勤があり、首都圏や関西出身の職員さんもいたし、係長さんも東京での勤務経験があった。
これは、地方衰退にもつながる話なのかもしれない。首都圏や関西の、少し偏差値の高い大学を出ただけで「鼻持ちならない」「傲慢」というレッテルを貼られるのでは、故郷に帰ってくる気にはならないだろう。
数年前、私の病気のために「単身赴任のない職場」を探してくれた夫も「オーバースペック」「うちはサービス業です、理不尽なお客様に頭を下げられますか?」と言われ、ひどく職探しに苦労した。
流行の言葉でいえば「分断」の一種ともいえないだろうか。
どうしたらいいのか、解決策は思いつかない。しいて言えば、私が「不向きだ、嫌いだ」と捨てたIT業界が、オンラインで「情報」を地方の隅々まであふれかえらせることにより、解決してくれるかもしれないとは思う。


つたない文章ですみません。ちょっと書いてみたくなった。


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