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桜の魔法にかけられて


目元に咲くのは、
暖かみのあるブラウンオレンジ
スモーキーで繊細な輝きを纏い煌めく


伏目がちになった瞼が
陽の光を受けて美しく反射する


−今年も、春がやってきた−







あなたはいつも通りの日々に
そっとため息をついていた

いつもの風景、いつもの業務内容、
いつもの感情

でもただひとつ心が動く瞬間がある

それは−

気になるあの人を見かけたとき

会社の2つ上の先輩

彼がデスクのそばを通るたび
思わずどきっとしてしまう

悟られないように
こっそりとタイミングをずらして目で追う


涼しげな目元
すっと通った鼻梁
綺麗な手


先輩を初めて見た瞬間から、
ずっと好きだった−

あなたはその想いを大切に、
大切に心に仕舞い込んでいた


どうせ自分なんかじゃ、
叶わない


そうどこかで諦めていた







あなたは今年で27歳の誕生日を迎える
30歳というひとつの節目を目の前にしたとき
どうしても女心は微妙に変化するものらしい



本音では、仕事にも恋にも焦っていた



自分は一体何者なんだろう
このままこの世界に何の変化も起こせないまま
消えていくのだろうか


このまま誰にも愛されないまま
ひとりぼっちで過ごしていくのだろうか


ときどき耐えようもなく自分が無力で
夜がどこまでも果てしなく続いていく
そんな気がする


そういうときはまるで底なし沼に
たったひとりではまってしまったかのように
苦しみから抜け出せなくなる



呼吸ができなくなる







いつもの通り道、いつもの電車
いつもの…


あれ?


こんなところにこんな可愛いお店あったっけ?


ふと目線を上げると
見たことのない雑貨屋さんが目に入った


いつもの自分なら確実にめんどくさがって
絶対スルーしているが
なぜだか今日は違った


寄ってみようかな


小さいけれど確実に新しい一歩を踏み出した


小さな木のドアを開けるとそこには−


それは雑貨屋ではなく
新しくできたコスメショップだった


ただ単一の商品を売るだけでなく
さまざまなブランドのコスメがリミットレスに飾られている
魔法のような空間


わぁ…なんだか凄いな…


思わず息をのんでそのひとつひとつに魅入っていると


何かお探しですか?


そう声をかけられた


思わずハッとして振り向くと
そこには淡い栗色の巻き髪を揺らした
美しい人が立っていた


思わずその神々しさに吸い込まれてしまいそうになる


その人は笑ってこう言った


いらっしゃいませ
あなたをコスメの魔法にかけてあげる







15分後


鏡の中には見たことのない自分がいた


自信がなかった奥二重の目元も
少し低いはずの鼻も
ぽってりとした唇も


ぜんぶが輝いてみえる


これが私…?


まるでコスメの魔法にかかってしまったみたい


そう思わずうっとりつぶやくと
その人は笑って言った


あなたは本来とても美しいのよ
これからもそれを忘れないでね、と


笑顔でそのコスメを購入し
お礼を伝え店をあとにする


あの綺麗な女性、どこかで見た気がする
そう思ったが誰だか思い出せなかった







一人暮らしの家に帰って
早速今日買ったコスメをぜんぶ取り出してみる


春のオレンジブラウンシャドー
コーラルピンクのチーク
滑らかなグロス


綺麗だな…


ただ眺めているだけで幸せを感じる


美しいものに心が触れた瞬間







次の日


昨日買ったコスメを遣い
どきどきしながら自分にメイクをする


なんだか私、変わったみたい



まぶたには濡れたようなツヤ
桃のような柔らかい頬
水をたっぷり含んだヴェールのような唇



言葉に表せないときめきを自分に感じながら
家を出る


はやる胸を抑えながら
オフィスに向かう


自分のデスクで始業の準備をしていると



彼と目が合った



初めてだった



そしてその瞬間彼の眼差しに
暖かくてくすぐったくてふわふわする
何かを感じた


彼が照れたように目を逸らして
デスクの脇を歩いていこうとする


そのとき


…あの、先輩
今日のお昼、春からのお仕事について
ランチしながら教えていただけますか?




思わず声をかけていた
自分としては一生分の勇気を使い果たした気分だった





おそるおそる彼の方を向くと
彼の笑顔が目に飛び込んできた




もちろん
もっと早く誘ってくれればいいのに




そう先輩ははにかんだ




ふたりの間に、確実に何かが生まれた−







後日、あの美しい女性の正体がわかったあなたは急いであの店をまた尋ねた


だけどそこには


桜の咲き始めた小さな公園があるだけだった


そうだった、ここは公園−


狐につままれたような気分で
しばし桜を眺めてしまう



ありがとう
あなたは、自信をつけた将来の私だったんだね


あまりに幸せそうで
表情が柔らかく輝いていて
まるで昔の不幸だった自分とは別人のようで


気がつかなかった…


待っててね、未来の私
必ずあなたに会いにいくから


そう将来の自分に幸せを誓って
彼との待ち合わせに向かう−




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