許す力

優秀な人とそうでない人。そこにはたった一つ、明確なものがある。それは、自分の予想外のこと、自分のルールの外に出てあるものから受けた被害について、許せる力を持っているかどうか、ということだ。

簡単な例で言えば、自責、という日本的美徳に代表されるものかもしれない。他人から受けた困難や試練などについて、そんな面白いこともあったと、笑って語る人物に日本人は好印象を抱く傾向がある。一方の他責は、そんな美徳の反対に位置するとされている。面接のお見送りの理由として度々出てくるキーワードである。

実はこの自責、他責というのは非常に表面的なものであるため、本質の部分ではないかもしれない。では本質は何か。それは、その人が他者からの尊敬や信頼を集めているかどうか、なのである。これが、その人が許す力を持っているかどうかなのである。

他人が行った過ちを許す、異なる価値観を許す等、人として適切な距離感は保ちつつも自身のルールの外にある人間を許すこと、これができるか人なのかどうかは、話を聞いている中で明確になっていく。一つのポイントとして、その人が積極的に【諦観】を肯定しているかどうかである。もう一つのポイントとしては、【否定】の無意味に気づいているかどうかである。

あなたはどうだろうか。なんらかの主義者であれば他人の意見や行動を否定したくなるのかもしれないが、その行動や考えは本当に世のため人のためになっているだろうか。今一度、熟考してみることをお勧めする。こんな私の考えも誰かの否定につながっているかもしれないが。

10月26日、天晴れな空に感謝をしつつ記す。

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