見出し画像

誰が見ている?


小学4年頃のことだったと思う。
既出の話かもしれない。

先生からの問題。
「自分が悪い事をしたとき、誰に見られてると思う?」


当時のみんなの解答例。

「お母さん。」
 一人だったらバレないよね?

「先生。同級生。警察の人。」
 やはりバレないこともあるよね。

「神様。」
 見られてるかもしれないけれど、わからないね。


 絶対見ている人は誰だろう?


「自分が、見てるんだよ。」

なーんだ。そういう問題か。引っ掛けかよ。
そんな反応が多い小学4年生。

でも、未だに思い出します。
万引きとか、いたずらとか、ちょっとしたズルとか。
誰にもばれなくても、全部自分だけが知っている。忘れたと思っても、事実は曲がらない。
そうやって自分を貶めていく。
自分はそういうことをする人間、になっていく。

自分に失礼なことはしちゃいけないと。
自分の"目"は大事にしなさいと。

それから、"自分の視線"てものの存在を感じるようになりました。
あぁ今見てるなーって。

自分の律し方とか、客観視とかよく言うけど、
他人の視線以上に自分の目に恥じないようにと考えたほうが、
良し悪しがわかることもあるのかもしれません。


今日もまた、不意に思い出したので、記念に書きました。

いただいたサポートは母との思い出作りに使わせていただきたいです。よろしくお願い致します。