エホバの証人は児童虐待を推奨しているか?

今回は、「エホバの証人」による「体罰」「児童虐待」で話題になっているについて解説します。

児童虐待に関係するニュースについて

統一教会への質問権行使などを主として、宗教に対する行政や政治のかかわりが報道されています。
JWに対しても同様で、体罰を含む児童虐待が問題視されており、国会で問題提起されています。
宗教関係の話題は、信教の自由の観点や、信者の生活そのものであるゆえに個人と宗教とを明確に切り分けることが難しいといった観点もあり、アンタッチャブルなものとして扱われる場合が多くあります。

「体罰の伴う教育」の昔と今

まず、JW特有の体罰や児童虐待があるかに触れる前に、世間一般における「体罰の伴う教育」の在り方の変化について触れます。

体罰が発生する関係性について整理すると、多くの場合「家庭」や「学校」で、どちらも”教える側”と”教えられる側”がはっきりしており、立場の上下に変化がない関係性であると言えます。
そして、”教える側”の意図に沿わなかった場合、ペナルティや罰の結果として、体罰が発生するというメカニズムです。
日本では戦後より体罰は広く一般的に行われていたり、容認されていましたが、1990年頃から、学校における体罰が減少するに伴い、体罰を伴わない教育が一般化してきました。

JWの体罰遍歴も世間とさほど変わらない

JWの親子関係においても、旧来は体罰が当たり前の感覚で行われていましたが、体罰という仕方でのしつけは減少しており、2000年代にはほとんど見られません。

なぜJW=体罰としてピックアップされているのか

まず、日本のJWの全体的な傾向として、”ムチ”にはブームがありました。
ざっとこんな感じです。

  • 昔 (~平成初期)
    組織として推奨し、信者は指示に基づいて実施。
    時代背景として一般的に体罰が行われなくなってから、遅れて減っていった印象です。

  • 過渡期(~2000年頃)
    組織としては推奨も非推奨もしていなかった。明言せず「各家庭に任せる」スタンス。虐待は非推奨、しつけは必要だよねという感じでした。しつけに何が含まれるかを明示することが無かった感じです。
    ただ、会衆ごとの雰囲気や年齢層により、「ムチしないとたるんだ子に育つよ」のようなプレッシャーがあり、常態化していた部分があります。

  • ~現在に至るまで
    組織として非推奨の色を強く発信するようになった。
    体罰はしつけではないというスタンスです。
    子育て世代が代替わりしているのもあり、「JWだからムチがある」というのは無いように思います。

ニュースのインタビュー等を見ると、現在声を上げているのは20台後半~40代であり、昔~過渡期にJWの親に育てられた人たちが主要層の印象です。
彼ら(僕含め)のトラウマとなっているのは「単に体罰があった」という事実だけではなく

  • 同年代の子どもが自由に生活している中でJW内のルールを厳格に守らされたことにより、理不尽さを強く感じる

  • 周りは体罰が無い中で厳しい体罰が行われていたことで、JWであることが理由で体罰を受けていると感じる

が主な共通原因と考えています。
ある年代以上は、JWかそうでないかに関わらず、今から考えると理不尽な理由で体罰を受けることが多々ありました。
また、JW内において規則を守らせることによるマウント意識(”世の人とは違う”ことによる選民意識)が薄かったこともあり、「宗教が原因で体罰を経験した」という感想が少ないのかなぁと考えています。

反対に若い世代については、

  • JW関係なく、そもそも親の性格や家庭環境に問題があるケース

  • メンタル的に未成熟(『世の中と違うぞ』と感じて調査したり、自分軸をもって発信できるまでに達していない)なケース

  • 親も子も”当たり前”と感じてしまい、問題意識を感じていないケース

などの理由で体罰問題に関する声が上がってきづらいと分析しています。

こうした背景の結果として、声を上げるのが特定の年齢層に偏っていくのかもしれません。

結局、JWは虐待を容認してる?

結論から言うと、「虐待する事」そのものを推奨はしていません。
ただし、親の権威や教義的な道徳を守る点で、厳密にしつけることを推奨しています。
そのため、体罰が含まれるかどうかよりも”教育”が優先されるというのが実情でした。
昨今の大規模報道を受け、「虐待を推奨はしていない。子供はのびのび育てられるべきであり、各家庭のやり方は個人的なもの」というニュアンスで回答しているものの、「こういうやり方もあるよ」と体罰的な手法を紹介したり、それらを行わない親に対して会衆単位での強い”アドバイス”があったことは、元JWや現役JWの報告にある通りです。

もちろん近年は、どんな仕方であれ体罰をしない仕方で適切にしつけることが公式に推奨されています。
各家庭においてどんなしつけがされているかについては、厳しい分にはノータッチ・甘い分には指導されるという感じでしょうか。

そのため、現在も体罰や虐待が存在する可能性はあるものの、組織的指示としてではなく家族あるいは親特有の問題として発生しているとみなされます。
もしかすると会衆単位で旧来のやり方が残っている可能性がありますが、そうであったとしても、組織全体として是正するというよりは、内々で個別に処理されるため、信者は「JW組織が説明する良い部分」だけを信じて、「虐待は無かった」との公式発表を信仰していきます。

アンフェアな情報操作・マインドコントロール的手法で内部に情報を隠すと共に、外部に情報が出ない(あるいは出たとしても問題の無い責任逃れのロジック)対策をしている為、全体としてカルト的な手法があるのは事実です。

最後に

各人が何かを信仰するのは自由ですし、何かを決定するのも自由です。
ただ、信者に対して説明していた「ムチをしないと排斥される」とし、実質的に指示をしていたにもかかわらず、「しつけは個人に任せていた」という建前の乖離は、「やり口が汚いな」と思います。

信教の自由が本当の意味で保証され、フェアな仕方で信じるためにも、適切な聞き取りや、法令順守のチェックがなされ、信者においては人として尊重される決定ができるよう、メスが入ることを期待しています。

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