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本読んだのよ



こんにちは毛布です。
私はちょっと難がありなかなか社会に適応できず、今は単発バイトをしています。属性を並べ立てると、発達障害シスヘテロ女性、鬱病、非正規、田舎実家暮らし、です。マイノリティだったりマジョリティだったり、日々葛藤しながら生きています。
体調に関してはなんとか今は小康状態、のんびり生きていて、映画や本を見て泣いたり唸ったりできています。

本を読みました。
『共依存 苦しいけれど、離れられない』
著:信田さよ子 朝日文庫

家庭の愚痴をめそめそ泣きながらツイートしていたらフォロワーさんが教えてくださった本です。一回読んで我が家のことすぎてひっくり返り、そしてまた最近読み返してバク転しかけました。しんどい記憶や今の状況に刺さる刺さる。
著者のカウンセラーの視点から「アルコール依存症の夫を支える妻」という家庭内の状況について緻密に書かれています。付随して「アルコール依存症の妻を支える夫」「親代わりをさせられる子供」「DV」等も言及されています。

父親が酔っ払っている家族の光景も 、ある時期まではほほえましいという形容詞とともに語られたかもしれない 。

-『共依存 苦しいけれど、離れられない』
著:信田さよ子 朝日文庫


突然私事で恐縮ですが、私の父親は毎日お酒をたくさん飲みます。泥酔して大声でプロ野球にヤジを飛ばし、歌ったり、怒鳴ったり、説教を始めたり、家の貯金を趣味に使いたいとごねたりする。正直身内からはうるさいしおっかないです。
けれど人当たりがいいので、町内会やご近所にはおそらく可愛がられています。そして私の父親の周りの多くの人、例えば町内会の他のメンバーや父親の友人は、皆同じようにお酒を飲み、私たち女性にお酒を運ばせ、支離滅裂な言動をしたがります。
信田さよ子さんがいうように"お酒が好きですぐ酔っ払ってダメになっちゃってまあほほえましい昭和の風景?って感じのよくある男性"…それが私の周りの『おじさんたち』。

このような夫をもつ妻は、カウンセリングで語るそうです。

浮気もせず 、外で酒を飲まない夫は申し分のない男性なのだから 。彼女にとって耐えることは日常的であり 、それを不幸などと思わないことが幸せの秘訣なのだ。

-『共依存 苦しいけれど、離れられない』
著:信田さよ子 朝日文庫


たしかに、内弁慶アルコール中毒の男性の大変さは、令和のご時世でも理解してもらいにくいかもしれません。私もこの国でうん年間暮らしていて、成人男性がお酒を多く飲むぐらい、どうってことない…普通よね、むしろちょっとやんちゃなぐらいがノリが良いかも?ほらイッキイッキ!なーんで持ってんの!という感覚は捨てきれません。(そんな甘い認識がアルコール依存症の発見を遅らせるとの指摘が広まったのもここ数年のことですよね。)
話を戻します、妻が耐えた場合の夫婦の子供や家庭の形はどうなるのか、信田さよ子氏は以下のように述べています。

自分の苦労しか視野に入っていない夫 、彼を傍らで耐えて支え 、子どもに依存する妻 、その母を支え 、父と母との関係を調整し 、目前で生起するできごとの全責任が自分にあると感じる子どもたち 。よく見れば 、これは日本のふつうの家族の構造を誇張しているに過ぎず 、決して特別ではない 。
-『共依存 苦しいけれど、離れられない』
著:信田さよ子 朝日文庫


特別ではないよなあ。
だって、私の家庭も、私の友人の家庭も、父の友人の家庭も、そうだから。
「なあ、お父さんまた酔っ払って機嫌悪いし壁殴ってるし、勝手に買い物してるで。あれ、ええの?」という私に、
「もう酔ってたらしゃあないし、あの人からお酒取り上げたらもっと暴れるもん。男の人って子供なんよ。許してあげて。あんたらのために働いてるんやから毎日大変なんやろ」という母。

いやいや勘弁してくれよお。怖いよお。

と思いながらも、それが日常なので言及することをやめる私。
父の理不尽さに気付いてはいるが「家庭のために働くのがどれほどしんどいのか」なる問題は、体感していない子供としては黙るしかありませんからね。
私が中学生のとき、父は一家の大黒柱ではなくなりました。リーマンショックの不況を受けて失職したのです。
父はお酒をもっと飲むようになり、怒鳴ることも増えました。
「飲まなきゃやってられない」と。

そこまで父を追い詰めたのは何か?
私は大人になってからヒントを得るようになります。というか、感覚的な経験をジェンダーや歴史から紐解き、言語化してもらって、腑に落ちるようになります。

もう一冊本を読みました。
「これからの男の子たちへ」
著:太田啓子 大月書店

肉体的・精神的に限界なのに「つらい・辞めたい」と言い出せない。……「男に生まれた以上」一家の大黒柱として妻子を養う責任を感じ、相談したり弱音を打ち明けたりしづらい……弱音を吐く人や業績が低い人を「負け犬」のように扱い、会社のための自己犠牲を称賛し、組織への忠誠心を試すかのように過剰なノルマを強いたり、生活の糧を人質にしてパワハラしたり。

-「これからの男の子たちへ」p43-44
著:太田啓子 大月


このようなシスヘテロ男性中心の息苦しい空気感は、ホモソーシャル、「有害な男らしさ」と名づけられています。ジェンダー関係のメディアに触れるとすぐ辿り着く言葉であり概念です。有害な男らしさがある故に、女性より男性の自殺率やアルコール依存症に罹患する確率が高いのだろうという指摘もよく見ます。

父がこのホモソーシャル的空気に飲まれていたであろうことは地獄のリーマンショックから十うん年が経ちやっと今私の知るところとなりました。

一方当時十代の私が何を考えていたかというと、今となってはリベラルフェミニズム的思考でした。女も稼がにゃいかん!と決意を固めていたのです。父頼りだった母はパートを増やしながら体を壊し、今度は私にアルバイト等頼むようになりました。私はど根性ガエルの精神で奨学金で進学しました。弱いもんから貧乏になって気も弱っていく。生殺与奪の権が奪われていく。女も勝ち取りにいかなくては!!努力あるのみ!…何より、女だからって稼ぐことを諦めていたら、「大黒柱でもないくせに」「いざとなったら嫁にいけるくせに」「苦労を知らんくせに」という大義名分で黙らされてしまう。

じゃあ、同じ苦労をしてやろう。職場には年上の男性ばかりだけど絶対に認めさせてやるからな!うーんちょっとブラックな職場かも?いやいや、寝てる暇などない!残業万歳、しごき万歳、アルハラ?私はお酒好きだよ。セクハラ?触られたわけじゃないし。パワハラ?怒られてるうちが花!発達障害かも…?みんなミスぐらいするよ!仕事への熱意が足りないんだよ!なんか、しんどいけど、気のせい!

新卒一年目の冬、見事に鬱になり数年が経ちます。
実家で寝込む私に父は言いました、
「なっ、仕事って、大変やろう」と。
仕事が大変なんやない。私たちは、あの有害なホモソーシャルかつマッチョで、苦労賛美、人権意識皆無の空気感に包まれ自らもどっぷり染まったから、大変やったんやったんとちゃうか?と今なら言えます。
辞めたいとか無理とか言えばよかったんでは?
自分の扱いが酷いなと思った時点で、さっさと転職考えればよかったんでは?
とも。

そして私の暴走で心配をかけたりパワーバランス的に踏んでいたであろう方々にお詫びしたい。
なにより当時の父に、素面同士で、
お父さんつらかったよな。ありがとう。無理せんでええよ。(自己責任根性論男性社会はクソ。(これは言わん方がいいやろうな)) いったん別のやり方さがそ。
と言いたかった。
持ち家も車も全部売ってよかった。
生活保護も受けたらよかった。
お父さんはその状況は屈辱的だったり辛かったかもしれないけど、もし家族で話し合えたなら、私たちにとってはアルコールが増えるよりは生活が質素になる方がよほど幸せだった。

だがそれはそれこれはこれなのです。
反省仕草や自己憐憫だけで人生は終わらない。

仕事を頑張ることと家族を守ることがイコールだという発想が強くあって、家事や育児のことで文句を言われると「俺は会社でこんなに苦労しているのに!」と被害者意識を抱いたりする。家族として生活を運営していくことと、仕事での努力は別文脈の話だと思うんですが。

-「これからの男の子たちへ」p89
著:太田啓子 大月書店 

上記は「これからの男の子たちへ」の対談コーナーの清田隆之氏の発言です。対談相手であり著者の太田啓子氏は、離婚調停の際も上記の理屈で被害者意識を持つ男性が多いといいます。

サラリーマンのその感じ、非常に同意。とても同意。いいねしてブックマークしてスクショ撮ったわ、という気持ちです。
家族を尊重することと仕事の努力は別文脈です。どちらも大事です。
父の場合は昭和の価値観で人生を送ってきたので、正直もう分かり合える気がしないのですが(さきほど私は反省という殊勝なことを書きましたが、父のアルコールによる暴言や遺産の個人的濫用や女性蔑視発言はバリバリ健在なので、私は自分の心身を守るために父から心理的に距離をとっています)、
家族を守るって、精神的にも経済的にも守ること。精神的なほうがとても難しい。日本の、特に先程の信田氏が指摘しているような家族観(夫が稼ぎ支配的になり、妻は耐える)にどっぷりな私たちには、あらためて精神的にも向き合おうとするなんてことは正直苦手な分野です。

シスヘテロ男性とその他の性別に強引に格差を作り出した資本主義社会に慣れてしまった我々が。
家族や、会社などの組織においても、互いの精神の健康を尊重するためにどうすべきか。
最適解などないし、それぞれの関係性によると思いますが、私にはこちらの本が参考になりました。

三冊目。
『さよなら、男社会』
著:尹雄大 亜紀書房

たとえ男社会の構造が女性や障害者、外国人、さまざまなマイノリティに対して差別を生み出す働きをしている様子を目に留めても、冷ややかに見ていられる。それを冷静さだと思えてしまうのは、自分の直面している現実の方が切実だと感じているからだ。
ここに男たちの感覚の問題が現れている。僕らが男性性として受け入れた価値観が推奨するのは、「感じること」ではなく、「理解すること」だった。

-『さよなら、男社会』p159-160
著:尹雄大 亜紀書房


"男らしい""ビジネスマン"の社会は、
精神的にさまざな感情を感じること、
より、
世の中の常識の枠組み内でものごとを理解し追従すること、
を重視していると。
追従し続けるのは日々切実で大変な問題であると。
ゆえに下記のような現象が起こるらしいです。

「男たちはそれ(感覚的、主観的、まとまらない、わかりやすい解釈を通じて話すことができない話)が冗長に感じて耐えられない。
ひょっとしたら自分とは異なる存在のありありとした「他者性」(その人としての固有のありよう)を感じることを回避したいのではないだろうか。」

-『さよなら、男社会』p188
尹雄大著 亜紀書房


"ビジネスマン"たちが作り上げてきた、"社会"では、「AはBである、根拠はCだ」というわかりやすい言説以外は冗長だと撥ね付けられてしまいます。「そんな伝え方は社会では通用しない」というやつですね。組織や法人内以外でも、治安が最悪最低のインターネット掲示板やSNSでもそのような形で「論破」しているのをよくみかけます。
しかし、他者を理解するとき、自己の感覚や感情を話すとき、我々はAはBである構文だけでは心許ないでしょう。
「うまく言葉にできないけれど、これこれこういうことがあって、なんだかしんどくて…些細なことかもしれないけど、ああそれから…」とぼやきながら、または耳を傾けながら、AはBである、「自分は辛いのである」「自分は助けを求めている」「相手はどうにもならない感情を求めている」「問題は複雑である」等の結論にたどりつくのではないでしょうか。
筆者の尹雄大氏は、対話を試みるとき、わかりやすく一度に話すことなど困難で、時間をかけてつぶさに語っていくしかないと述べています。その例として外国語話者とのコミニュケーションが挙げられていました。お互いにバッグボーンや文化が違うから、察することはほぼ不可能。ボディーランゲージや単語からお互いに他者理解をしようとする、その際に我々は時間を惜しまないはずだと。
私たちはわかりあうために丁寧に気長になる必要があります。

念を押しておきたいのは、だからといって力で征服していいわけではありません。時間をかけて支配してしまったら本末転倒です。
一冊目に紹介した本の題名にもありますが、アルコール依存症だけにとどまらず"共依存"という言葉は、「共依存してしまう側にも責任がある」という文脈で非難されがちです。
共依存という言葉がそもそもアメリカ1980年代レーガン大統領が自由と自己責任を唱えた時代に生まれたと知り、ゾッとしました。依存するな。自立せよ。強くなれ。甘やかす側も悪い。という雰囲気が広まったのが目に浮かぶようです…
しかし信田さよ子氏ははっきりと否定しています。

共依存は依存ではなく支配なのだ。

ケアや愛情という美名のもとに称揚されてきた微細な支配を 、できるだけ具体的に描き出そうと努めてきた 。共依存というわかりやすそうでどこかチ ープな言葉こそが 、実は支配という概念の内包をさらに豊かにしてくれるだろうことを信じて 。
もともとアルコ ール依存症者の妻である女性に対する命名だっただけあって 、今でも共依存は女性の病理と言ってはばからない専門家もいる 。しかし通読されておわかりのように 、男性も同様に 、企業や家庭や地域において 、微細な上下関係や支配関係を泳ぐ技術なくして生き残れない社会になっている 。……

支配から脱するために 、支配しない ・されない地平を希求するために 、役に立てていただきたいと思う 。美名の陰に隠れた支配を明らかにすることで 、共依存という言葉にまつわる紛らわしさが少なくなれば幸いだ 。

-『共依存 苦しいけれど、離れられない』
著:信田さよ子 朝日文庫

パワーバランスがおかしくないか。
和解のために積み重ねてきたはずの時間が、歪にゆがみ、取り返しのないことになっていないか。場合にやっては"逃げるは恥だが役に立つ"が必要になってくるかもしれません。


この記事で紹介した三冊は有名で本屋でもよく特集されています、それほど多くの人に響く何かがあるのでしょう。
家族の中に、社会の中に、個人の中にある男性性やホモソーシャルと、どう向き合えばいいのかは人それぞれだと思います。私と父、私と母、私とパートナー、友人、仕事の同僚、これから出会う人、おのおのに性格と事情があり、ケースバイケースで対応していかねばなりません。
差別行為やジェンダー規範を元にした中傷があればノーと言わねばなりませんし、自分自身も守っていかねばなりませんが、一人で立ち向かえるとは限りません。連帯も必要です。
また、相手の性規範が相手の信念や性格に強く結びついており、相手の過去や人格を否定することになりそうで難しい場合も多々あります。
実際私もマッチョな生き方をしていたとき急にそんな話をされても「でも現実そうはいかんくない?!」と逆ギレしていたかもしれません(迷惑な話だ)。
ジェンダー規範や立場によるパワーバランスに留意しつつ、相手の感情をゆっくりと受け止める。
めちゃくちゃ理想論のようですが、わかりあおうとすることは、人間同士の基本のきでもあります。

本記事でボロクソに言ってしまった父について。いまだに私は父に対して、ツイ廃風にいうと、「差別発言で通報したろか」という気持ちでいます。ネタでそんなこというなと思われるかもしれませんが、通報どころか殺意が芽生えたことは一度や二度ではありません。でも育てられた恩や思い出が私を思いとどまらせました。父も私のことを「ちょっと何言ってるかわかんないですね」「クソフェミ…」と思っているでしょう。
しかしまだ一緒にご飯を食べる仲です。
縁を切るほどではないのです。
気長に、でもいつか終わりが来る一緒に過ごせる時間を、耳をできるだけ傾けて過ごそうと思っています。

素敵な本をもう一度リコメンドしたいと思います。

『共依存 苦しいけれど、離れられない』
著:信田さよ子 朝日文庫

わかるわぁー!という話から、ゾッとする話まで。外からは普通と思われている家庭の、ほんとはグロテスクなんじゃない?というエピソードやどう向き合えばいいかが緻密に描かれています。

「これからの男の子たちへ」
著:太田啓子 大月書店
治安最悪の男女論が日々インターネットでは繰り返されていますが、モテや性の話、男らしさの呪いの話、男らしさで生き抜いてきた男性との対談を交え、自分の息子に語りかけるように優しくわかりやすい言葉で著されています。
そうフェミニストの私たちは争いたかったわけではなくこういう男らしさってやつから解放されたかったんだ…言語化ありがたい…という本。
フェミニズムやジェンダーに触れると、男に生まれてきただけでなんでも反省しろっていうのか?!と頭を抱える男性もよく見かけますが、もしそこから足をほんの少し踏み出せたら、ゆっくり読んでみてほしいです。乱暴に殴りつけるような本ではないと私は感じます。

『さよなら、男社会』
著:尹雄大 亜紀書房
男性に反省を促す本のイメージがあるかもしれませんが、ど根性ガエルだったシスヘテロ女の私に、「強い女」になりたかった私にもぐっさり刺さりました。自伝のエッセイです。そして個人の赤裸々な体験を語ってくれることこそが相互理解になるよな…という、まるでミステリーの叙述トリックのような不思議な本です。ジェンダーというよりは人間関係に向き合う機会になりました。
性別、民族、体のこと。マイノリティ属性を持ってるからこそ、強くならなきゃ、って肩肘はってる人の隣で、ゆっくりお話ししてくれるような一冊です。


三冊も素敵な本を読み、家族について複雑な気持ちをもやもやさせていると、こんなに長くなってしまいました。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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