高まるために捨てる
矢をつがえ、弓を起こし、ゆっくりと引き、狙いを定め、放つ。
弓道はひたすらにこの動作を繰り返すスポーツだ。
よく勘違いされるが、弓道はアーチェリーのように中(あた)った的の場所によって得点が変動したりしない。手持ちの4本の矢の内、何本が中り、外れたかで結果が決まる。
超個人的な競技なので、他のスポーツに比べ、戦略性や読み合いなどのゲーム性は乏しい。また、応援も中ったときのみ仲間が一瞬発声するだけなので、試合会場は基本的に静寂に包まれている。
この弓道というスポーツに、私は高校で出会った。小中学校の6年間、野球に熱中してきたが、今回のテーマには野球より付き合いの短い弓道を選んだ。
野球について書いた方が、読んでくれる人は多いかもしれないとも思ったが、「スポーツがくれたもの」という言葉を見たときに、先に思い浮かんだのが弓道だったからだ。
ほとんどの学生が高校から始めるスポーツ、つまりは小中学校での経験者が少なくスタートラインがみんな同じスポーツがいい、という理由で選んだ弓道。
これまでの人生でおこなった決断の中でも、トップレベルに素晴らしい選択と言える。弓道に教わったことはたくさんあるが、今回はそのうちの1つについて書きたいと思う。
高校1年生の春、部活見学で初めて聞いた矢が的を射る音は、穏やかで激しく、自然と背筋が伸びるほど凛としていた。大げさに聞こえるかもしれないが、紙でできている的の表面を、約150km/hの金属が貫くのだ。こんな音、他にはない。決してうるさくはないのに爽快感のある非日常的な音に、私は心をつかまれた。
うちの高校の射場は屋上にあり、夏は憧れていた袴が嫌いになるほど暑く、冬はヒートテックを2枚着ても寒かった。屋上に射場がある高校なんて、他にはないんじゃないだろうか。
顧問の先生もあまり顔を出さない部活で、部員同士でフィードバックし合ったり、1人で黙々とゴム弓(弓に見立てた練習道具で、初心者はゴム弓を綺麗に引けないと弓に触らせてもらえない)を引く部員もいる。
狭い射場の中で100人弱の部員がひしめき合い、各々の練習方法で日々を過ごしていた。
私は1人で黙々と引きたいタイプで、的前(射位から的に向かって矢を放つこと)練習をとにかく入れた。放課後の限られた時間、多くの部員がいる環境下、的前に立てる回数は1日多くて4回ほど。
自分で言うのもなんだが、私は小さいころから運動神経が良い方だった。弓道においても感覚をつかむのが早く、それなりに中ってもいた。
練習態度も真面目だった(とにかく楽しくてハマっていただけなのだが)ので、引退前の先輩方に次期主将の任命をいただいた。
「とにかく上手くなりたい、感覚をつかみたい」
「誰よりも中てなくてはいけない」
弓道への純粋な愛と、主将としてのプレッシャーを、誰よりも的前練習をおこなうことで解消しようとしていた。
多くの人を導けるほどのカリスマ性や、マネージメント力が自分にあるとは思えなかったので、とにかく的中率だけは誰にも負けないようにしようと決めていたからだ。
焦りが伴う練習は、本人の自覚がなくとも雑になっているもの。いつの間にか的前に多く立つという手段が、目的にすり替わってしまっていたことに、当時の私は気づかなかった。
的中率こそ上がっていたものの、会(弓を引ききり静止した状態)の時間が徐々に短くなっていた。
弓道は射法八節という8つの動作で弓を引く。
会までにおこなう5つの動作は会のためにあると言っても過言ではない。
とにかく会は、重要なのだ。
心を落ち着かせ、狙いを定める会の時間。大体4~6秒は必要だと言われているが、私はひどいときだと1.5秒くらいで離してしまうこともあった。
この、十分に会の時間を取れないことを「早気(はやけ)」という。「早気」は簡単に言うと、病気だ。
「イップス」というと、ピンとくる方もいるかもしれない。精神的な原因などにより、自分の思い通りにプレーできなくなる症状のことで、野球やゴルフの世界でよく登場する言葉だ。早気はイップスに近いものだと思う。
会までくるともう
「離したい中てたい離したい中てたい」
という感覚にとらわれてしまい、離したくないのに、勝手に離してしまう。
中るならいいじゃん、という意見もあるかもしれないが、どれだけ中ろうが「早気」はご法度とされる。緊張する場面、つまりは試合になると中らない可能性が高いからだ。うちの学校では特に、早気の選手はメンバーに入ることを良しとされない風潮があった。
丁寧にやっていれば自分は大丈夫、と思っていたあの早気になってしまった。しかも大会が増える時期に。
私は焦った。焦れば焦るほど、早気は深刻になっていった。
すでに大会メンバーに選ばれていたので、
「なんで早気のあいつが」
と思われていたらどうしようと不安だった。
周りに相談もし、いろいろな方法を試したが、うまくいかなかった。結局は自分次第だと心の中では分かっているだけに、改善できない事実が自分に負け続けていることを示しているようで苦しかった。
そんな弓道人生の絶不調期に出会ったのが「みのさん」だ。
丸めた頭に大きな目、娘からもらったという若々しい服を着こなしている。社会人の弓道家は真面目で堅い人間が多い印象だったが、みのさんは最初からユルい空気感をまとっていた。
微笑みながらまっすぐと目を覗き込む人で、話していると心を読まれている気分になるので、少しだけ苦手だった。
大会前日の練習日、久しぶりにみのさんが練習に来てくださった。外部の指導者なので練習に顔を出す頻度は高くない。結局早気を治すことができなかった私は、すがる思いでみのさんに相談した。苦手だなんて言っている場合ではない。
「早気になってしまいました。明日は試合ですが、少しでも会を持つ方法はないでしょうか。」
するとみのさんは、私の射形を見ることもなく、
「早気でもいいじゃない。明日はそのまま臨みなさい。」
と言った。
予想外の言葉に、私は、泣いてしまった。
止める間もなく、目、いや、心からそのまま出たような涙だった。
「そのままでいい」なんて、考えもしなかった。
あのときほど、心が軽くなった、という言葉があてはまる場面はない。
翌日の大会では、不思議と練習のときより会を持つことができた。
みのさんはあのとき一瞬で見抜いたのだ。
私の早気を悪化させていた原因が「治さなければいけない」というプレッシャーによるものだと。
そして、私の中でも早気に対する整理がつき、大会後に少しずつ改善されていった。
私が早気を治したかった理由は、
「かっこ悪い」「試合で中らないから」
など、すべて自分に向いているもので、それらこそが焦りを加速させていたのだと思う。自分で自分の首を絞めていたのだ。
早気の改善に必要だったのは「自意識を限りなく弱めること」。
筋肉の動きだけに集中し、微調整をする。頭ではなく身体で弓を引くことで、自然と心は落ち着き、会を持てるようになった。
的前に立つ頻度を少なくし、とにかく丁寧におこなう練習にシフト。
一射一射それぞれで中てようともがくのではなく、中る動き方を日々研ぎ澄ましていくことに時間をかけた。
何かと真剣に向き合うことは、ときに怖いし、多くの場合めんどくさいが、危機的状況に陥ったとしても積み上げてきたものが味方になってくれる。
「高まるために捨てる」
これは、ニーチェの言葉だ。続く言葉を一部省略しながら紹介したい。
「限られた時間の中で何かをなす以上、何かから離れたり、何かをきっぱりと捨てなくてはならない。しかし、何を捨てようかと悩んだりする必要はない。懸命に行動しているうちに、不必要なものは自然と自分から離れていくからだ」
この言葉は、弓道での経験を教訓にしてくれた。
あの頃の私は弓道に本当の意味で向き合うことで、自然と「自意識」が不要であると気づくことができた。
個人的に「なにかを得るには、なにかを捨てなければならない」という一般論はなかなかしっくりきていなかった。原因は「なにか」の正体分からなかったからだろう。
確かにいま持っているものを捨てることは怖い。
だが、海を渡りたいならば、登山具は不要である。目的地を定めていれば自然と不要なものが見えてくるはずだ。懸命な意思がなければ、登山具が不要であると気づくことはできない。もしくは登山具を捨てたくないがために、海を渡ることを諦めてしまうかもしれない。
だから「捨てる」ことを怖いと思うとき、私に足りないのは目的地なのだと思うようになった。
この経験を通した教訓は、いまでも私を勇気づけてくれる。
この文章は、パナソニックがnoteで開催する「 #スポーツがくれたもの 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。
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