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なぜ書きたいのか

新聞の読者エッセーに何度か投稿し採用されたことがある。生活の中で、「ちょっとオモロい」と思ったことを書いた。ケンカすると必ずケーキを買ってくる夫(「ごめんね」が言えない人なので)のことだとか、「おばちゃん」と絶対呼ばれたくない私が編み出した秘策や、イヤイヤ期に突入していた幼い息子とのエピ―ソードを書いたものはなかなかオモロかったと思っている。

これがなぜ採用されたのか?を考えた。それはたぶん「あるある」だ。

例えば夫はごめんねが言えないからケーキを買ってくる。昭和生まれのたいていの夫たちは「ごめんね」が言えない。「ごめんね」と言ったらたぶん死んじゃうんだろう。

「おばちゃん」と絶対呼ばせないマンの私がとったのは「森さん」と私のことを呼ぶように子供たちに刷り込んだことだ。自分で自分のことを「森さん」と言い続けた。勝利!

「イヤイヤ期」の息子について書いたエッセイのタイトルは「ワカランチン星人」だった。この時期の子供を持っている人にとって「なんでもイヤ!」な子供は、まさに宇宙人だ。ワカランチン星人をお世話している世界中のママたちおつかれ!

「家庭は社会の縮図」という。自分の身の回りに起きていることは社会でも必ず問題になっている。身近なことから社会を見る目を持ちたい。それを言語化し笑い話にしてみんなと共有したい。そして「あるある」と共感して少しだけ、息をついてほしい。

それが私の「書きたい理由」だ。


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