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立つ位置が変わると見えるものも違う

コロナ感染症の第二派が来たらしい。

「GOTOキャンペーン」なるイベントについてタイムラインは賛否両論でざわついてる。

ある人は「あちこちから人が集まってきたら感染が広がる。やめるべき」といい、ある人は「一か八かやってみるべき。このままでは経済が回らなくて死ぬ人が出る」という。

どちらも一理あってどちらかにうっかり肩入れすると反対側からかみつかれそう。

みんなそれぞれに自分の立っているところから見えている景色について話す。

自分の望むものが見たいと思う。

どちらも間違ってないと思う。

子供が白血病だとわかり、治療を受けた。

もう何年も前のこと。

子供は元気に今年大学生になっているからご心配なく。

白血病というのは血液のがんなので抗がん剤での治療をする。

抗がん剤は直接骨髄を攻撃して白血病細胞を殺す。

ついでに健康な血液細胞も殺す。

薬は免疫機能も破壊するから抗がん剤治療をしている間は感染症にとても、とても気を遣う。

実はわたしはそれまで、風邪をひいていようが熱があろうがそれほど気にしてななかった。

熱があっても仕事は休めないと思っていたし、自分が休むことで迷惑する人がいたら、そのことで気まずい思いをするのが嫌だった。

病気がうつって困る人がいるかもしれないなんてことは考えなかった。

病気がうつったら困るという人が自衛するべきだとさえ思っていた。

子供が「ただの風邪」でさえ命取りになる病気になるまでは。

「ただの風邪」がうつったら困る人でも、だからといってずっと家の中にいるわけじゃない。

体調が良ければ学校にも行く。仕事にも行く。

でもいつも注意深く、感染症にかからないように。

特別なことをしているわけじゃない。

学校に行って、仕事に行って。

普通のことをしてるだけなんだけど、いつもどこか心配。

それは本人だけじゃなくて家族も同じ。

「かかったらかかったときのこと」と思えるのは基本的に健康な体を持っているからなのだとその時知った。

同じ電車の中に「ただの風邪」が命取りになる人がいるかもしれない。

それはもしかしたら、誰かの大切な人かもしれない。

そう思うと「コロナ感染症なんかただの風邪。それよりも経済で死ぬ人が出るのを防がなければ」と大きな声では言えない。

でも同じくらい、コロナ感染症で仕事をなくして明日の生活費や来月の学費も出せないという人のことを考えると、これ以上引きこもり生活もできないとも思う。

人は自分の見たいものしか見ない生き物だというけれど、その「見たいもの」は自分がどこに立っているかにもよる。

「こんな時期に旅行なんてとんでもない。来るな」という人の気持ちもわかる。

「これ以上の経済の停滞は病気で死ぬ人の何倍もの死者を出す」という意見もわかる。

どちらもわかってしまうから何も言わずに黙っている。

ただただ、早くこのウイルスに勝つ日が来ることを祈っている。


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