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パラレルワールドに住む人達

パラレルワールドって言葉がある、それを聞くといつもドラえもんのび太のパラレル西遊記を思い出す。

僕は典型的なHSPなんですけど(HSPとは?参考の記事↓)

普通に日々生きていると、急に残酷で嫌な事を考えてしまいます。
例えば友達が死んだらどうしよう?家族がしんだらどうしよう?とか。
その家族を殺したのは実は僕の友達だったとか。。。。
その場が物凄く和やかで笑顔あふれる場面であったとしても「今この場で俺が殴り掛かったらみんなどんな反応になってしまうのかな?」とか。

これを結構リアルに思い浮かべて感情が揺れ動かされたりします。
昔は結構こういう思考に悩まされていました、なんてろくでもない思考なんだ、こんな事考えているとか最低だよ!!って思っていたんですが、だからって思考を止めるすべはないです。思いついてしまうんですから仕方ないです。
そういう時に凹むのを辞める手段としてあったのがこのパラレルワールドという概念

今思いついた感情が揺さぶられるような思考は事実としてあった、それはパラレルワールの世界では実際起こりえた、だけど自分は一番のハッピーエンドを選択しているから、それを見る事で回避できた。
だから嫌な事や悪いことを考えたり思いつくことは回避するためのビジョンだ!!と思ってから大分この思考も許せるようになりました。


しかし、この僕にとっては現実世界ではなくパラレルワールドに実際に住んでいる人をたまに見受けられます。
それが僕とはいわゆる、合わない人なんだなって思います。

人付き合いとか義理人情というのを僕は割かし大事にしています。
分かりやすく言えば家族や友達を大事にしたいですし、いつも人と笑顔で包まれていたいなと思っています。
友達や家族って何?って話になると思いますが。
僕の中での定義は無条件の付き合い

これをしてくれるから付き合うとか、同じ組織にいるから付き合うとか、ここでの関係性が大事だからとか、そういった条件付きや打算的な付き合いを友達や家族とは呼べないです。
しかし、世の中には逆に条件があるから付き合いがある物を友達と定義する人もいます。これは良いとか悪いとかそういう話ではなりません。合う合わないの話です。

このパラレルワールドの人との話というのは気分があまり良くありません。
なぜなら先ほどの様にそれを見せられているから回避できた僕にとってのバッドエンドストーリーを地でやっている人を見ると、思考のギャップが心地悪いからです。


なんでこういう思考の人がいるんだろうなぁ?
なんて話を中谷選手としたことがありました。その人の考えが物凄くしっくり来てて。

「僕も後藤さんも一番(主役)になった事がある、ボクシングは4回戦だろうがタイトルマッチだろうが、リングの上に上がったらその人が一番で主役の瞬間、下にどんな有名人がきていようがみんなリングの上を見る。世の中の多くの人が、自分が一番になった経験がない。だからわけのわからないもんで代用して一番(主役)になろうとする」

これが思い当たる節がいくつもあって、例えば過去実績のマウントの取り方。
昔ヤンキーだったとか、今まで〇人の恋人と付き合ったとか。それって頑張りなのか?と思うような事例。他にも結婚はしない方が良いとか子供は産まない方が良いとか。
こういう思考って僕のパラレルワールドにはあるんですが、実体験してみたい思考ではないんです。

自分が主役になった時に分かりますが、正直あんまりそれ自体には意味がないんです。
リングの上に上がるも、結婚もそうですけど、その過程だったりその後だったりの方が人生には圧倒的に重要で、その瞬間最高風速みたいなものにはあんまり価値ないんです。

だから、そんなに主役目指して頑張んない方がきっと楽しいじゃないかなーなんて最近色々な人と付き合う中で思いました。

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