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おい、

 お前に送ったメッセージ「おーい」は既読すら付かないまま3ヶ月が経った。こんなことは今まで無かった。元よりお前は適当な性格をだから、1週間くらい平気でメッセージを放置するし、彼女にもそれで振られたと笑っていた。でもここまで音沙汰がないとは…
 時々、何も関係がないところでお前を思い出したりする。子供の笑い声を聞いたり、割った氷が音を立てたり、そういう何気ない瞬間、論理など関係なしにお前を思い浮かべる。凄く気持ち悪いと思いながら、理由を考える。
 今どこで何をしているか、聞こうとして止める。それをする意味が解らなくなった。いや、もっとさらけ出せばそれをすること自体が怖くなった。
 嫌でも情報は入ってくる。お前が最近ゼミにも来ていないことを、あいつから聞いた。その時、俺とあいつはお前のことを笑った。でも俺はどこかで「知ってしまった」という感覚があった。鋭い痛みのようなそれが帰り道で強くなった時、救急車の音が聞こえた。違う場所で聞いた大学生の自殺の話が脳裏を過ぎった。その大学生の特徴は、どちらかというと俺に似ているけれど、どこかに居なくなりそうな雰囲気を、不在を予感させるものを纏っていたのは常にお前だった。お前からすれば俺がそうだったのか。
 俺は友達が少ないし、恋人もできない。刹那的な関係を嫌って、何も信じられないという顔しかできなくなった。
 お前は誰にもいい顔ができただろう。責めているのではない。それは俺にない素敵なものだ。人間になくてはならないものだ。でも、お前もしっかり一時的な付き合いの疎ましさに傷ついていた。
 お前は泥酔して、友達の数だけ多くて、どこにも吐き出せないものが溜まっていくのが誠に虚しい、と場末の詩人のような台詞を言ってのけた。俺はやはり笑った。しかし心から共感できた。それは実に久しぶりのことだった。
 空疎なものばかりが散らかっていくことを仕方なしに受け入れ、形容しがたい寂寥感に包容されながら呼吸することを余儀なくされている。そのことをお前が解っていて、俺は安心した。それが、ともするとお前を滅ぼしかねない思想の花に育つことを予感しながら、安堵の溜息を漏らしたのだ。俺は自分が嫌になった。
 お前は夜の大通りが好きだった。新宿や渋谷の雑然とした喧騒を聴くために、泥酔しきった身体で徘徊することを好んだ。風邪を引く寸前まで体を冷やす。俺達は奇妙な習性の動物みたいだった。その時間はいつも朧気だった。さして美しくもないテールライトを蛍に幻視するくらいに。たまに埃を孕んだ風が吹いた。
 その時、人生はこの風のように、凄まじい速さどこかへ過ぎ去っていくと直感した。ちょうどお前もそうだったか、「風」とだけ呟いた。宛もなく、自分がどこから来たかもやがて忘れ、無名の経路を往く。予感は的中する。俺は俺の時間に名前をつけられたことがない。今もどこにいるか、よく解らない。気がついたら次の場所に行っているかもしれない。どこかに戻っているのをそう錯覚しただけかも解らない。移動に気付けない可能性すらある。
 お前はどうだ、どうなんだ?聞きたい衝動がまたやってきた。今どこで何をしているのかを、お前から教えてもらうことで、俺はきっと少しだけ救われる。延命できるとか多分そういうことはない。ただ、無限に続くと思われる孤独が一瞬和らぐ。しかし、答えを知る瞬間は冷水を胸にかけられたときのような思いがするだろう。或いは電気が走るような熱に乱されるだろう。ジレンマと呼べるほどのことではないが、俺はそのどちらも望まないというところに落ち着く。そうせざるを得ない。お前は返事を返さなければいいだけ。
 今、また風が吹いた。俺はこれが気圧や温度の変化に起因する、何ら情趣のない現象であることを知っている。聡いお前はもっとよく知っている。
 お前はバイトをクビになって、ロクに就活をしないばかりか、授業にすら行かなくなった。お前は特定の場所を持っているのか。帰れる場所。頼れるものの在り処を知っているのか。今のお前がどんな形であれ、そのもとにあることを…
 俺はお前がどこに住んでいるかすら知らなかった。何をしているのかすら、あいつから聞いて初めて知った。それまでこれらのことは、どうでも良かったのだろう。そんな俺達の関係のおかしさに気付いたのは先日のことだった。その時も俺は無意識にお前とのチャットを読み返していた。お前は時々秀逸な一節を送ってくる。それも俺みたいに冗長で執念深い文章ではない。さっと現れて消えて、意味だけが永続する和歌のような短文だ。飾り気もなく、嘘や大袈裟もなく、必要十分。俺はまたそれを聞きたかった。下手に作られた他人のものなど、正直な話、どうでも良かった。俺が聞きたいのはお前の言葉以外の何でもない。
 何もかも棒に振り続けてきた。本質的に、生来の気質として、俺もお前も多分賢かった。奢らずに言えば、いや止そう。今の俺は路頭に迷う愚者でしかないから。聡く賢くあることと世渡りが上手いことはまるで違う。それは嫌というほど思い知らされたはずだ。俺達は真に美しいものを求めながら、それを許さない世に絶望するだけの余生をじっと眺めている、それだけなのだろう。
 お前の歌は音程を外しても美しいし、お前の字は汚くても味がある。お前の病的な痩躯を転写した影はいつも三日月だ。
 今日も三日月だ。ちょうど今気付いた。

 どこかで下らないことの続きを始めたい。等身大のことだけで話をしたい。その後は、今は感じられなくなった本当の苦しみと本当の笑いを懐かしむのだ。虚ろな時間には、そうした類の肴がお似合いだろう。それでいいのだ、俺達は。
 お前がどこにいて、何をしているか。笑っているか、泣いているか。生きているか、死んでいるか。一切語らなくていい。知りたくもない。知れば俺は、またそれを考えるのにガラクタな余生の一部を、ともすると大半を浪費することになりそうだから、だから、どうだっていい。
 おい、生きろ、もしくは死ね。俺の預り知らないところで。
 もういい…行き着いたその場所が最後でも構わないから、何処か好きなところへ。俺も直にそうする。

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