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パン屋の おはなし あのね     一匹の猫が朝の陽だまりの中で

匹の猫が朝の陽だまりの中で、目を細めていました。
キジ柄の猫です。
彼らの仲間はマホメット(教科書によってはムハンマド)の使いともいわれ、額に”M”の模様があります。
でもその猫の額には水の波紋というか渦巻きというか、ちょっと変わった模様が、8月の朝日にキラキラしています。
一人の青年?が建物から出てきました。ここは彼の勤めるパン工場です。
バターの香りでもするのでしょうか。車に行こうとする彼の足元にまとわりついています。
「おはよ」
と小声で声をかけ通り過ぎようとしましたが、・・・まるで足止めされているようです。
そうしているうちに、同じく夜勤明けの女性が一人出てきました。猫はあいかわらず彼の足に体を摺り寄せています。彼は少し照れくさそうに
「お疲れさん」と声をかけました。
彼女は青年よりも先に猫が目に入ったのか、彼の足元にかがみこんで猫をなでています。そして、
「お疲れ様でした」と言ってニッコリしました。
猫が彼女のほうにうつったので、
「何か飲む?」
財布を出しながら自動販売機に近づいていきました。
「ありがと  お茶が飲みたいなあ」
小銭がなかったので千円札をすべりこませた彼が、カンとおつりをとろうとかがみ込んだ時、
「え!!!!」
彼女が叫びました。
驚いて立ち上がろうとする彼の膝に猫が飛び乗りました。
『自分に自信を持ってぶつかってごらん  きっとなんとかなるものさ』
・・・・もう立ち上がるどころではありません。カンを握ったまま座り込んでしまいました。
猫はトコトコっと走っていったかと思うと振り返り、
『汝らの願いかなえたり! 今日より心の命ずるままにすすむがよい!』
二人が顔を見合わせて、もう一度猫のほうを見たとき・・・・・猫の姿はもうありませんでした。
何分位たったでしょう。彼は彼女にカンを渡し自分も飲み始めました。あらら、よほど驚いたんでしょう、彼がお茶を彼女がコーヒーを黙って飲んでます。
その間にも夜勤と日勤の入れ替えがあり、何人かが二人の横を通り過ぎていきます。挨拶はするものの、今あった事を説明する気にもならない二人でした。やっとのことで我に返った彼は、つり銭を小銭入れにしまおうと・・・・
「あ!!」
彼女がまた叫びました。青年はまたあの猫が現れたのかと思って・・・バラバラとつり銭を落としてしまいました。
「ごめんなさい」と言いながら彼女も落ちたつり銭を拾います。
「どうしたの?」
「その財布・・・」
「ああ  これ?この間さ 甥っ子のお宮参りに京都までつきあわされちゃってね・・・奥さんの実家が京都らしくってさ・・・京都までだよおお 疲れちゃった」
しげしげと小銭入れをながめながら・・・
「その時、もらったんだよ 確か・・・」
「大きな杉の木の横?  本堂から少し離れてなかった?」
彼女がバッグに手を入れ何か探してます。
「本堂はさあ 同じようにアカンボ抱いたのが何組もいたから・・・でもせっかく来たんだからと思ってね そんで・・・  あれっ!君も?」
彼女が握っていたのは同じ小銭入れです。
「ええ 私田舎が京都なの・・・この前のお休みにちょっと用事があって・・・そのときついでに・・・  それに・・・この模様って・・・」
「あっ そういえば さっきの・・・猫?・・・・」
しばし沈黙の二人・・・・・
『汝らの願いかなえたり!今日より心の命ずるままにすすむがよい!』

二人とも自分が何をお願いしたのか・・・思い出したようですよ・・・

    それから3年、不動産やをめぐるカップルがいました。そう彼と彼女です。

なかなか気に入った物件にめぐり合えないようですね・・・
「ふぅ~やっぱり店をもつなんてムリなのかなあ。問題は・・・やっぱ資金だよなあ」
とため息をつくばかりです。
でも、そんなとき女性は強い!二三歩彼の前にでたかと思ったら振り返って

「心の命ずるままにすすむがよい!」
と言って、ニッコリ微笑んでみせます。
彼はこの笑顔を見るたび勇気付けられてきました。

しばらくいくと以前立ち寄ったことのある不動産屋の前を通りました。とてもよくしてもらったので、二人ともよく覚えていました。
「この間は,悪いことしちゃったなあ。あんなに熱心だったのに・・・」
「そうネ・・・」
そう言いながら通り過ぎようとしたとき、
「あれまああ、やっぱりご縁がありましたか。そんな気がしてましたよ。まだ探してる?そうでしょ そうでしょ・・・実はね、あの日あなた達が帰ってすぐ・・・本当ほとんど入れ違い。店舗付き住宅を手放したいっていうご夫婦がね、来たのよ。あなた達のこと話しましたよ、あたし・・・そしたらなんと!パン屋やってたんですと!そしてね、そしてね同じパン屋やる人だったら、格安でゆずってもいいて言うのよこれが・・・で・・・一度会いたいってさ。それで、あたしさあシマッタ!と思ってねえ、連絡先聞いてなかったでしょ?・・やああ  本当に縁ってあるのねええ・・・」
気のいい人なんだけど、一人でよく話す男の人で・・・だんだんオネエ言葉になっちゃうので二人ともよく覚えてたわけ。
「ただ・・・あんまり立地がねええ・・・でも見るだけ言ってみる?」
二人は顔を見合わせ・・・
「心の命ずるままに!」
もう夕暮れ近い時間でしたが、二人は不動産屋の運転する車でそのパン屋へと向かいました。その店は市街地からも住宅地からも少し離れた高台のすそにありました。
ん~確かに立地としては今ひとつです。

不動産屋はさっそく主人夫妻に挨拶に行き、二人を指差しながら話をしています。
彼は店の外で腕組みをしたまま・・・彼女は外から見たり中へ入ってみたり・・・・
そのうち彼女が主人夫妻と二言三言話たかと思うと、不動産屋に向かって、

「下さい!」
「えっ!ちょっとまって・・・」
僕の腕組みはいったい何の為?とばかりに、彼女の側に走りよりました。
「時よ  きっと」
彼女の口癖です。
『時・リズム・タイミング これさえそろえば、なんでもうまくいくワ』

「ねっ?」
もう彼女は決めています。どうも彼の出番はなさそうです。彼は少しすねてしまいました。
「大丈夫!この店には素敵な想いがつまっているもの。この店生きてるわ。」
とニッコリ微笑みました・・・これで彼は完全にノックダウンです。
主人夫婦の条件は
『使えそうなものはあげよう。ただこれから半月閉店の準備と開店の準備をいっしょにやって欲しい』ということだった。

若い二人は空いている一部屋に泊まりこんで準備をさせてもらうことにしました。だいたいの計画は立ててあったものの、やはりてんやわんやの大忙しです。
老婦人と彼女はまるで本当の親子のように楽しそうにやっています。一方彼のほうはというと、自分が売り出すパンの試作と、主人が閉店まで作り続けるパンの手伝い。
若くても職人です。負けてはならじと必死に老主人についていきます。時には熟練された技を盗みとろうとして・・・・時には背後からの視線に滝のように汗をかきながら・・・まるで師と弟子のようです。

いよいよ別れの日が来ました。彼は老主人のカバンを持ちバス停へ向かいます。

「あの これ・・・」
「うん」
老主人は知っていたようです。彼の手から渡されたのはベネチアーナ。酵母からつくると一週間かかります。今日焼き上げたものの中で一番気に入ったものです。
カバンを受け取りベネチアーナをそっと大事そうにしまいこみました。そして、感慨深いため息をついてニッコリ微笑みました。・・・・いえ微笑んだのは彼にしかわからなかったかもしれません。とっても優しい眼差しに彼はもう・・・・空を見上げてごまかすしかありません。
女性達は最後まで話がつきないようで・・・あれやこれやと話しが続いています。
老婦人が声をかけます。

「ねエ やっぱり これもいっしょにもらって頂きましょうよ。」
「そんなもの こいつらには迷惑なだけじゃないのか なあ・・・」
若い二人には何んのことだかさっぱりわかりません。
「これはネ、この店を私たちに教えてくれた置物なの・・・今日までいっしょにやってきたのよ。もし気に入らなかったらすててもいいから、もらってちょうだいな。これからの私たちには、ちょっと荷物になりそうだか・・・。」
老婦人の手から小さな箱が渡されました。
「お~い  バスが来たぞぉ。」
彼が叫びました。
「なんだか最後までゴタゴタしたけど、どうもありがとう。」
老婦人は一度主人に微笑みかけて
「じゃあ 元気で頑張ってね」
二人を乗せたバスがだんだん遠ざかっていきました。
いつまでも老夫婦の心が残っているような気がして、若い二人はバス停を離れられずにたたずんでいます。
「いろんなもの・・・もらったなああ・・・」
「そうねえ・・・たくさん頂いたわ・・・・」
彼女は、さっき婦人からもらった小箱のふたを開けてみました・・・・・。
「・・・!!!!・・・・」
言葉もないまま彼をひじでつつきました。のぞきこんだ彼も・・・絶句・・・・・
そう、あの猫です。もちろん焼き物ですけどね。キジ柄の・・・額にうずまきの模様のある。
ふたの裏に『京都にて』と書いてあります。

「そういえば・・・京都で知り合ったんですって、あの二人・・・」
老夫妻の面影を道の先に追いかけました。

・・・そのあと猫の置物はレジの横にそっと置かれるようになりなした。あの二つの小銭入れといっしょに・・・・

彼女は毎朝、けずりぶしののった小皿をおいてやるたびに、
『この店を私達に教えてくれたの。今日までいっしょにやってきたのよ』と言っていた老婦人の微笑を思い出します。

    あなたの街にある小さなパン屋さんではありませんか?今度レジの横を覗いてみてくださ。   お店の人に変な顔されないように  そっとね・・・・・・・・・      おしまい




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