推しから学ぶ感情論

ここ最近高らかに公言していることがある。にじさんじのVtuber「うえからよんでも~したからよんでも~町田ちま~ちまだよ~」さんのことが好きだ。これは彼女の自己紹介である。覚えやすい。
きっかけはなんだったかな、歌の配信が好きで見続けていたらフリージア耐久とかやったり、3の数字がはいる時刻ごとにゲームをしながらデビルマンを歌っていたり、初見では歌のうまさにしか注目がいかないが時折みせる毒舌な一面やおちゃめなムーブ、可愛いと言われうるせえと返すいじらしさ、時々?の下ネタ、と知れば知るほど好感度があがっていく。なにをしても愛しい好きだ・・・!という感情になった。ちまちゃんを見ているときは笑顔になれるし彼女の配信に癒されるし見逃せば泣けてくる。初めてYouTubeの通知をオンにしたあの日私は彼女のことがこんなにも好きなんだと自覚して天を仰いだ。

話は天と地がひっくり変えるほど変わるが、私はエロコンテンツが好きだ。岡田コウ先生好きと宣言しているのでそりゃそうだと思う人ばかりでしょうが。だから私は己がおかずになることに何の嫌悪感も抱かないしありがたいことだと思っていた。好きじゃなきゃおかずになんかしないと思うし、どこかしらに魅力があってどんな理由であれ誰かの心を揺さぶるのかと思うと私は嬉しかった。成年漫画をかく先生もやっぱり抜けましたという感想は嬉しいとどこかで見た。大人の女優さんも抜いてもらってなんぼだ。
でも私は別に成年漫画を描いてないしみんなに抜いてもらうためが活動方針ではない。それでも好きなんだったらそういう目線で見るでしょと思っていた。現実で好きな人が出来たらそういう感情になるんじゃないんですか?告白して付き合っていずれ身も心もひとつになりたいと思うもんだって、あなたと合体したいに行きつくだろうって。

だいたいのファンは言う、みのりちゃんは別にえろくないよ(笑)そういう対象じゃない(笑)と。言われるたびに腹が立っていた。魅力がないってことか~?なんて思っていた。でもそうじゃなかった。単純に、そうじゃない。まったく、これっぽっちもエロ目線で見ていないという感情。恐らくそれは言い換えればそのままでいいということ。私がたとえば抜いてもらうことを目的に活動していて「全然抜けねーよ」と言われたら大問題だがそうではない。しゃべったり、歌ったり、いわゆるVtuberとしての配信活動はそういう目的で行っていない。冷静に考えればわかることだったけど、彼女にあうまでは考えたこともなかった。私は上記に述べた彼女のことをそんな目線で見たこともないし見ることも考えられない。そういった対象であることも、望まない。私はちまちゃんに、活動していく限り笑顔でいてほしい。たったそれだけ、それしか望まない。笑って、楽しく、配信しくれたらもう優勝。文句をいうやつは片っ端から四肢をもいで引き裂いて炙りたいよ。え、こわ。冒頭にもかいたが、彼女の配信で笑顔になるのは彼女より私のほうなのだ。

当たり前だけどエロだけが魅力のすべてじゃないと教えてくれた。エロ目線で推しを見ることをいつも否定していたファンの気持ちに初めてちゃんと寄り添えることができた。
ありがとうちまちゃん。一生好きです。えろくない意味で。


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