7月5日のにっき

たったひとつの事実が私を傷つける。見なきゃいいのにエゴサする。生きにくい性格をしているなぁと我ながら思う。誰かと比べることで自分が傷つくとわかっているのにやめられない。脳よ、何故だ。
吸ったことないけどタバコや酒みたいなもんだろうか。
依存症とはよく言ったもんで私もきっと第三者、医者にかからないとやめられない。意識の問題だとしても、自分を好きだと言ってくれている人がこの世にひとりでもいる限りエゴサーチはやめられないとまらない。

先日まさやすさんがnoteをはじめた。私はこれを定期購読するとなんだか悪いような気がした。私にこのnoteを読む資格があるのかな。相も変わらず誰かの顔色を窺っている。一体誰の顔色を窺っているのか。好きにすればいいと人にいいながら、自分こそ好きにしたらいいのにと思う。好きに生きているからこそ欲は湧き選択が増え悩みは尽きない。人間なんかになりたくなかった。いや、バーチャルだし。米だし。

逆立場理論(今つけた名前)というものが私の中にあって、何か行動するときは逆の立場ならどう思うかって考える。
簡単に言うとこうされたら私は嬉しいなとか嫌だなと感じることを自分基準ではあるが判断することが出来る。
どんなにファンが好きと言ってくれても状況下によってはたったひとつの言葉が私を傷つけ凹ませしにたくさせる。
けれど私がファンなら、やっぱり外野の言葉など気にしないでほしい。私はそのままのあなたが好きだから。と思うタイプのオタク。

今何をすべきかは私はあまりわからない。けれどどうしたらいいかは逆立場理論が導いてくれる。

文にしろ絵にしろ表現したものをwebサービスに載せるということは見てほしいという気持ちが少なからずあると思う。
私もそうだ。私は文章を常日頃から綴っているわけではないし、文学に知識があるわけでもない。が、どうせなら誰かに読んでほしい。あわよくば感想が欲しい。
なくても読んでくれたという事実が分かればうれしい。

だから大丈夫。活動していくうえで支えてくれる人がいることのありがたみを知っているから。

だから彼のnoteを定期購読する。
短い文章も、長い文章も、どんな言葉もうれしい。そういう気持ちですか、オタク。

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