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冬休み日記 新年

1/1(月)
2時半起床。ゆっくり準備してもまだまだ暗い時間。ヘッドライトつけて山道に入る。この冬は本当に暖かいのでその点は辛くない。木々の間から夜景がちらちらと見える。大阪湾の上には意外とたくさんの船が居るもんだ。
大谷乗越の手前の景色が開けるところに出る。キラキラの街の灯りの中、大阪の高層ビル群が暗い群れを成し頭に赤い航空用照明を灯している。大阪のオフィスビルはほとんど無人の世界、平日昼間のオンタイムとは比べ物にならない人口密度だろう。ガラガラのオフィス街で暗闇の中、あるいは白い蛍光灯の中、エアコンの乾いた空気の中でビルを警備する人やモニターを見つめる人たち。彼らははもう明けましておめでとうを言ったのだろうか。
船坂峠を過ぎ標高が高くなると雲の中に入ってしまう。ヘッデンの明かりが乱反射して歩きにくい。思ったより早く神社に着く。昨夜の雨で木の葉っぱが濡れていてしずくが落ちてくる。ぼちぼち明るくなって来たころからお供え物の設置などを手伝う。風が吹いて雲が薄くなった瞬間太陽のシルエットが見えた。一応初日の出だ。


強風吹きすさぶ中の御神事、寒いけど頭の中に清冽な風が入ってくるみたいで不思議と心地よかった。参列している人もなぜか皆笑顔だった。寒すぎただけかもしれないが。
歳旦祭が終わって直会に参加させてもらった後下山は奥池経由。歩きやすい道なのになぜかあまり人の来ない、静かな良いルート。奥池の町は正月に限らずいつも静まり返っている。分岐を大藪谷へ向かい、背の低い松の多いざれた急な下りを終えれば小さい綺麗な沢に降り立つ。大藪谷と大蛇谷が出合い仁川上流に流れ込むところだ。少し前までテントを立てて定住?していた人がいたがいつのまにか居なくなってしまった。


実家に着いてお雑煮を食べる。丸餅を白味噌で煮て鰹節をかける関西トラディショナル雑煮。前はこの具も何も無い、ただただ餅を煮たものをなんとなく不気味に感じていて、肉とか人参とか入った地方の雑煮がうらやましかったが最近は白味噌の旨さがわかってきた。関西人は出汁の効いた甘みのある食べ物をとかく珍重する。
朝早かったので眠気に襲われ昼寝して起きると能登半島で大地震が起こってた。大津波警報とか言ってる。そういえば東北の地震の時も昼寝していて起きたら大変なことになっていた。
晩、台所からお節やお菓子を取ってアパートに帰る。地震のことがどうしても気になる。大学時代の友人に輪島で活動してた子がいたのを思い出し、共通の友人に彼女のことを聞いてみる。その子は既に数年前に輪島から別の土地に拠点を移しており被災は免れたらしい。
風呂上りに外に干しておいたバスタオルを使うと燻製のような匂いがした。近くの神社の焚火の煙がついたのだろう。

1/2(火)
午前中のんびり過ごす。
夕方友人と石橋で飲む約束があるので歩いて出かける。今日は快晴。大きな川にかかる橋を渡るのが気持ちいい。
石橋の町も正月休みの店が多い。阪大生がいない分人通りが少ないのだろうか?普段の様子はよく知らない。破魔矢を持った人たちが歩いている。この町の住人がどこの神社に初詣に行くのかは知らない。
友人と合流して石橋で一番瓶ビールの安い店で飲む。二軒目に行こうとするバーはつまみを置いていないのでコンビニで買い物して行く。激辛のスナック菓子を買う。二軒目にしてすでに悪ノリしている。お店に入って椅子に座るとお店の人がテレビを指さす。見ると飛行機が燃えている。なんて正月だ。
結構飲んでしまった。帰りの電車でうとうとして宝塚駅に着いたとき車掌さんに起こされてしまった。

1/3(水)
いつも通り朝6時に目が覚める。飲んで遅くに帰ったわりに優秀だ。カメラロールに天下一品最強こってりの写真が残っている。そういえば食べたような気がする。
昼前から車で出かける。田舎の方に行きたい。近畿道を走り貝塚あたりでそろそろ下道走りたいな、と思って高速を降りる。水間観音の近くを通りかかると参拝客でごった返していた。
海より山間部の気分なので紀の川の方に行く。丹生都比売神社の看板が名に入り、これや、と思って案内通りに山を登っていく。このまま行くと高野山にも行けるらしい。高野山は一度行ったことがあって大変に面白い場所だったが行き道までは覚えていないのだった。
ぐねぐねと山道を登っていくと突然開けた里に出た。深い山の中、畑や田んぼの中に古い民家がぽつぽつとある、「田舎」と聞いて心に思い浮かぶような風景。すごくいい所だな。
丹生都比売神社は世界遺産の神社だが駐車場はそこまで混雑していない。境内へ太鼓橋がかかっている。真っ直ぐな柱の組み合わさりと、橋の円弧が成す造形が見事。

まあこのアールは危ないよね
理にかなった構造はそれだけで美しい


普通にお詣りしたあと、鈴祓を千円でしてもらえるのでせっかくなので頼んでみる。初穂料を払って拝殿の中に案内してもらい、白くて丸い頬をした初々しい巫女さんに鈴を振ってもらう。耳から入ってきた鈴の音が金色の泡になってそれが次々と弾けて無限に細かくなって、頭の中がきらきらの泡でいっぱいになるようなイメージを得た。
来てよかったなあ、と爽快な気持ちで境内を後にする。駐車場の近くに小さな売店がありうどん・コーヒーと看板が出ている。店の中では干し柿や唐辛子などが売られている。今日精米したての地元のお米があったのでそれを買って帰った。

周りも含めて良い所だった

1/4(木)
山陽道を西へ走る。龍野で降りて二号線へ。とらぽーとというガソリンスタンドチェーンがやっている食堂でお昼。ここは駐車場が広くトラックドライバーのオアシスだが普通車の駐車枠もあるのでコンパクトカーで乱入しても問題ない。
メニューが豊富で迷ってしまうが唐揚げ丼にする。結構作るのに時間がかかってるようだがそれは出てくる唐揚げが揚げたてであることを意味する。御飯と千切りキャベツの上に乗っかってマヨネーズをかけられた唐揚げはもちろん美味かったが御飯に甘いつゆのようなもの(カツ丼を作るときのつゆだろうか?)が浸み込ませてあるのに目を見張った。このひと仕事が具と御飯を取り持つ役割を果たし、箸が進んで進んで、取り放題のお漬物が要らないくらいだった。

のどかな所にあります


ここは前来た時に豚トロ定食を頼んだことがあるのだが、メインの豚トロの他にカリカリに焼いたウインナーがひとつ添えられていて、そのウインナーにこの店の「客にメシを喰ってもらおう」という気概を感じて深く感動したのであった。
次は何を頼もうかな。ホルモンうどんが食べてみたい。全メニュー制覇したい。でも遠いんだよね。
東に少し戻ってから北上して播磨科学公園都市というニュータウンに向かう。ここは通称テクノポリスとか光都とかむっちゃかっこいい名前で呼ばれているニュータウンで、どーゆー所かというと25000人もの人びとが住む予定で開かれた町なのだが実際の人口はわずか1.500人程という要するに「コケたニュータウン」なのだ。

この田舎道がテクノライン


なぜそんなところに行くのかというと用事は一切無いのだが、この町の極めて人工的な佇まいや人間の匂いの薄さ、周りの環境から浮きまくった雰囲気などに魅かれて気づけばたびたび訪れる場所になっているのであった。

サンライフ光都という特徴的な集合住宅の向こうはだだっ広い広場のようになっている。円弧を描くように巨石が配され、まるで古代遺跡か祭祀場のような眺めだがこの石は全部中身が空洞のFRP製なのである。草っぱらには鹿の糞が大量に転がっている。夜になり車の往来が途絶えれば鹿たちが山林から出てきてこの奇妙な町を歩き回るのだろう。

サンライフ光都
樹脂製の岩
叩くとベンッて音がするよ
テクノはtekunoと書く

里山を公園に造り変えた場所に行く。元が山なので小高くなっていて眺めがいい。途中には生徒が何人いるのか知らないが小学校と中学校がある。公園のてっぺんからはスプリング8や工場や研究施設といった大きな建物、遠くに雪をかぶった中国山脈が見える。この町に来るのは決まって冬だ。夏に来たことはないはずだ。

くそかっこええ公衆便所
凍結するから冬場は使用禁止だって、自然には勝てんね

半年か一年かだけ、期間を決めてこの町に住んでみたいなと思う。集合住宅の一部屋に籠り、車は使わず町内のミニコープに供給される物資だけを頼りに(実際はお店の類はミニコープだけでなく町の内外にレストランが数軒とファミマもある)誰にも会わずに本だけ読んですごす。たまに数km先のダムまで散歩をしに行く。天気予報以外のニュースは受信しないようにする。日記には天候と、その日見かけた鹿と熊の数だけを記す。流星群が来る夜にはFRPの岩の広場に出て夜空を仰ぐ。

バスターミナルの近くにはこれまた広大な芝生が広がっていて、父親らしき男が幼児とキャッチボールをしている。平凡な光景だ。しかし何か違和感を感じてよく見てみると彼らの間は40mか50mか、とにかく異様に距離が離れていて、当然投げられたボールは相手に届かず、投げられて地面に落ちた球を拾っては投げ返す行為を延々繰り返しているのだった。何か特殊なルール設定のもと行われている遊戯なのかただ単に球をやたらめったら放るのが気持ちいいのかわからないが、その奇妙なキャッチボールを無表情で続ける二人を見ていると、彼らはキャッチボールというものを学習している人造人間ではないかという気がしてくる。この町は不自然の純度が高すぎて、たまに見かける人間もみんなロボのように見えてくる。さっきすれ違った若い女が私の目を探るように見ていたのは気のせい?もしかして電脳化してないの私だけ?

良い感じの散歩道がある
でもヤマビルが出る

湿度の高い冷たい空気の中町を一通り見て回ってから近くのダムに寄って、播磨道から中国道で帰宅。

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