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大阪プペルを終えて。2022年が終わる前に伝えておきたいこと。


ミュージカル『えんとつ町のプペル』大阪公演
無事に、
終幕致しました。
本当にありがとうございました🔥✨


東京公演では演出助手という立場で関わり、
今回の大阪公演では「演出監修」として携わらせて頂きました、
MOEKOです!
本当に本当に楽しかった。きつかったけどw 楽しかった。
たーーーーくさんの方の応援とサポートと。カンパニーみんなのエネルギーがあいまって、ここまで来れました!感謝です!
そして、大阪公演をやり切った今、どうしても伝えたくなった事があってこの投稿をしています。


今日お話したいのはとっても個人的なこと。

今回「無事に」の言葉をより、深く感じるのだけど
それはコロナ禍だからとか運営が大変だったからとか
それだけではなくて
個人的に、の意味合いもとても強い。

ご存知の方もいると思うけど...
私は今年のはじめに
身体もココロも本当に疲れてしまい立ち止まるしかなくなった。
全部辞めて、とにかく休ませてもらってた。

コロナの後遺症だったと言われればそうかもしれないけど笑
何ヶ月もの間、生きてる心地もしなくて、もちろんやりたいこととか好きなこととか、なんかもう本当に何も分からなくなっていたので
正直自分が舞台の世界に戻るとか想像もできなくて。
私から舞台を取ったら何もないのに。
戻る勇気も元気もなかった。
とにかく、全ていらない。と思ってしまった。

感情が無しになる、
心が動かなくなる。

そうなると、
毎日を過ごすことが苦でしかなかった。

だけど、そこから少し変化が生まれたきっかけも
舞台、だった。

舞台業界から離れることがさびしい、
それこそ生きる意味がないじゃないか。
と思う自分が少しずつ、出てきて。

それに気付けた時に
すごくホッとしたというか
自分の中にある感情がまた動き出した感じがして

そしてそれを戻してくれたのが
舞台という存在だったことが
すごく嬉しかった。

そう思い始めた時に
迷惑をかけてしまった方々、心配をかけてしまった方々に、
まだ、体力気力は戻りきってなかったけど
「舞台の世界から離れるチョイスは私にはなさそうです」
早くその気持ちを伝えたくなった。

そんな中、当時私はChimney Townの社員にならせてもらっていて。だけど、とても社員として頑張っていける状態ではなかったので、素直に西野さんに話しに行きたいと思った。
(そう思えたきっかけはまたとても大切な先輩のお陰なのだけどそれまたどこかでお話させてください☘️)

めちゃくちゃワガママだったかもしれない。

だけど、ごまかしてちゃんと話さずにこの関係性がフェードアウトすることは絶対に嫌だった。

ぶっちゃけ、もう見放されてるかもしれないと思っていたし
私の個人的な都合で連絡するなんて迷惑かもしれないとも思ったし
正直、躊躇しまくって、LINEを送るまで2週間かかった。

会いに行くこと自体もすごくすごく怖かった。

ただ、もし会ってもらえるならば私は何を伝えたいだろう、と考えた。
最初は、これまで与えてもらった経験からたくさん気付きがあったこと、一緒にクリエイティブ出来た事が楽しくて、たくさん刺激をもらったことを本当に感謝していることを伝えたい。と思った。

だけどそうやって考えているうちに
プペルミュージカルにもう関われなくなるのは淋しいな、って思った。。。

嫌われて縁を切られるだろうって想像してたけど笑
それでも素直な気持ちを伝えてから縁を切られたい!と思った
(あくまで最悪の事態が前提だったw)

だから、
会社は辞めさせて頂きたいが
許されるならばプペルミュージカルから離れることはしたくない。と素直な想いを伝えた。

そしたら、西野さんは私の想いを聞いて全部受け止めてくれた後に
「モエコさんが居てくれたら僕も安心しますよ!実は今年の12月に大阪公演があるんです。監修で入ってくださいよ!」
と言ってくれた。

大阪公演があること自体知らなかったけど
モエコさんの居場所、あるんだよ。
を思いっきし示してくれた感じがして。
あの時の私が一番、欲しかった言葉をかけてもらったと思う。

嬉しくって、スグに「良いんですか?やりたいです!」みたいなことを言った気がする。

だけど、時間が少し経つと
体力も気力も落ちまくっている私に
あの、プペルの現場に戻ってやり切れるだろうか。
という不安が押し寄せてきて…

しかも、プペルの演出監修ってめちゃくちゃ責任あるやんっ!てすごく怖くなった。

だけど同時に、西野さんが現場に入らないとしたら、私以外に作品の中身をちゃんと伝えられる人は居ないじゃん。とも思えて。

本当にみんなであーだこーだと試行錯誤して創り上げた
大好きでとても大切な
ミュージカル「えんとつ町のプペル」という作品を
やっぱお任せします!と投げ出すことなんて出来なかった。


覚悟を決めて
大阪チームに参加した。

蓋を開けてみると
予想以上にヤバい状況で笑
それは運営面を抜きにして、クリエイティブの部分だけみても。
なんというか、これは公演出来ないんじゃないかな?と思うほど、厳しい状況で。
それは大阪チームがどうこうという話ではなく、上演権を渡して公演をしてもらう、という意味でそのやり方を知ってる人間が現場に誰も居ないという危険度だったと思う。

だけど、やる、と決めたからには
諦めない。
どんな手を使おうが
ぜったいにやり切る。
と何度も自分に言い聞かせていた。

私が動き出す前にセトちゃんとサシZoomして
今回のプロジェクトのテーマや方向性をシェアしてもらっていたけど
大阪チームと話してみてこのままでは良い作品を創り上げるのは難しい!!!と思ってしまって。
プペルってこんな感じで制作して良いんだっけ?違う気がする。
と悶々としてた。

だから大きな方向転換をするために
西野さんとサシZoomをさせてもらって
色々と話したけど要は
演出は変えない、という方針だったのを
変える、にしてもらった。

この変更で迷惑をかけてしまった方々もたくさんいたと思う。
だけど、こうするしかなかったの!
(対応してくれた皆さん本当に感謝)

これはほんの始まりの話で、
心が折れかけたことは何度もあったこの大阪公演だったけど、
そこはやはり作品の持つ力なのか
「どこまで行っても諦めない」のがプペルでしょ、と何かある度にそう心から思えた。

それと、
伊久磨さんや横田さんはじめ
今回のこの大阪メンバーだったから
私も乗り越えられたな、と思う。

本当に、大阪チームひとりひとりの
負けん気とやる気と愛があったから
あの環境下で、ここまで来れた。と言い切れる。

めちゃくちゃ感謝。

そうこうしてるうちに
私の個人的な不安はどっかにいってしまっていて。

プペルという作品が
私を、この世界へ
引きずり戻してくれたというか笑

大阪プペルの現場に入らせてもらったから
今、私はこんなに楽しく現場で生きていられる。

毎日、一瞬一瞬が戦いだったし
ものすごく気を張っていたし。

Jアラートが鳴り響く前までは
当たり前だけどセトちゃん達や西野さんも現場の方と何か繋がりがあるわけではなくて。
一人で立ち向かってる気分だったけど笑

結果、めちゃくちゃ助けてもらい
稽古場に来てくれたり
大阪キャストとも向き合ってくれて
プペルの話をシェアしてくれたから
より深みのある作品になったし。
色々な方面からものすっごくサポートしてくれた。

そうやって稽古場問題とかも乗り越えて

初日が開けた時に

気付けば、やりきってたな。と。

一日、一日が必死で
時間の流れの記憶がなかったけど。

過ぎてみたら、やり切ってたみたい。
という感じ。

本当に心からやり切ったな。と思えたのは
東京に帰ってきてからだった。

それくらい余裕がなかったんだなぁ笑


少し振り返ると、、

休んでいた間は今年中に現場復帰できるなんて思っても居なかったけど
西野さんが場所を用意してくれて
素敵な仲間に恵まれて、
そしてプペルという作品だったから
ここまで来れた。
そう心から思う。

東京公演の頃から応援してくれていた方々には
いつか、私の言葉でちゃんと伝えたい、と思い
何度もFacebookを開いたり
途中まで言葉を並べてみたり
してきてたけど

どうしても最後まで書くことができなくって。

けど、
大阪公演をこんなに最高な形で届けられた今、
やっと、素直に言葉に出来ました。

何も知らない方々からするとなんのこっちゃ?だと思うけど🤣

突然消えて
突然戻ってきて
なんか監修とかしちゃって

ちゃんとご挨拶出来ないまま
現場に立たせてもらっていたけど。

やっと、やっと、やっと伝えることが出来ました。

この気持ちになるまで時間がかかりました。。

たくさん心配をかけてすみませんでした!

あの困難を乗り越えたことで
今はより舞台現場が大好きで
プペルという作品への想いも強くなっています!

私だから出来る役回りをして
プペルだけでなくて
日本、世界の舞台業界に
貢献していきます😊🙌✨

(ちゃんと自分も大切にします!)

わたし個人の人生もまた
「えんとつ町のプペル」
だなぁ。と今となっては感じられます。

生きる、って
大変だけど
楽しいですね😁🔥

すべての出逢ったヒト、モノ、コト、に感謝ですっ

全て学びにして糧にして
日々邁進してまいります!

こんなにまとまりのない長〜い文章を読んでくださって、本当にありがとうございます!

大好きです!

MOEKO. Dec/17/2022

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