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9年前の心の扉を開けた、蜜蜂と遠雷


あの時のことを今でも思い出す。

高校3年生の2月。私は定期演奏会で引退を迎えていた。

「もう、これで最後だ。」

1400人収容のホールで、ソロを初めて気持ちよく吹き切った。

(よかった・・・)

ほっと胸を撫で下ろす。客席からの暖かい拍手と声援に胸が熱くなる。

「本当に、終わったんだな・・・」

現実とは思えないようなその光景に、一瞬目眩がする。

余韻に浸る間もなく、ステージを降りて片付ける。


そんな9年前の出来事を思い出していた。

あの時、もう音楽はしないと思っていた。

全国バンドで3年間、メンバーとしてコンクールの舞台に乗った。

最後はトップで演奏した。夢は全て叶えた。だけど、疲れた。

レベルの高い年下との戦い、実力主義で落とされる同期、女社会での人間関係。技術的に越えられない壁。すべてに疲れ切っていた。

「離れてみて、それでもやりたいと思ったら本物だ。」

周りのもったいないという声もあったが、私は音楽をやめた。

そして、看護の道に進んだ。


9年後、私は看護師5年目として病棟勤務し新人さんを教える立場になった。

委員会も兼任し、任されることも増えた。


そんな中、友人に勧められ本も持っていながら読んでいなかった、蜜蜂と遠雷を映画で観た。


とてつもなく刺さった。


主人公のアヤは、7年かけて過去のトラウマを背負い復帰した。

それでも、怖くて逃げそうになった。

だけれど、7年前に亡くなった母と、今の友人が、音楽を好きな気持ちを思い出させてくれた。そして最後には自分で、過去の自分を越えて、強くなった。

優しさだけではやっていけない。

生命から溢れる強さ。自分と向き合い乗り越えた強さが、アヤとアヤの音楽を、成長させたのだと感じた。

あの頃の私は、天才たちと音楽を交わし、自身の越えられない壁にぶつかっていた。

自分の弱さと向き合い切れていなかった。

そんな過去の私と重なり合った。

「ああ、私は音楽がしたかったんだった。本当は、ずっと、お金のことを考えずに音楽がしたかった。両親に楽をさせてあげたいと思って、現実を見た。私が、したかったことは、、、」

一筋の涙が、頬を伝う。

心の底に仕舞っておいたはずのもの。音楽を聴いていた時の両親の笑顔。

「世界はね、いつでも音楽に溢れているんだよ。」

「世界が鳴っている。」「あなたの世界を鳴らすのよ。」

この映画の中で繰り返し出てくる台詞が、心の中で反芻される。

(あの時の大切な感情。思い出せたよ。)

「ありがとう。」

この本を教えてくれた友人と、今の私への感謝の思いが生まれていた。


もちろん、看護の仕事は好きだから続けられている。

だけれど、もう一つの好きを、忘れようとしていたことに気づいた。


以前のレベルを取り戻すことは困難だろう。

少しずつでいい。どんな形でもいい。

それでも。今度は、クラリネットを手放さずに、生きていこうと決めた。

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