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孔子の孫・子思──著作が伝わる最古級の儒家

 歴史雑記097
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はじめに

 そろそろ記念すべき(?)100本目が迫ってきた。
 とはいえ、特に大作を用意しているわけではない(準備中の大作はいくつかあるが)ので、100本目が軽めのものでも許していただきたいといまから強調しておきたいところである。

 さて、前回の記事でまったく説明せず流してしまったのだが、『韓非子』顕学篇で儒家八流のうち二番目に出てくる子思は、名は孔伋といい、孔子の実の孫にあたる。今回はこの人物について思うところを記す。

 主に子思という字で呼ばれるのは、名の「伋」が孔子の名である「丘」と音通してややこしいからということもあるだろう。
 孔子の息子の孔鯉(字は伯魚)は父より早く死に、儒家の発展に寄与した形跡は特に見受けられない(『史記』孔子世家に「伯魚年五十、先孔子死。」とある)。
 ただ、子思は違う。彼の遺した『子思子』は部分的にしか伝わらないが、その中の一篇である『中庸』は独立した書物として経書となり、表記・坊記・緇衣の三篇も『礼記』に採録されている。
 いわゆる「四書五経」のうち、『中庸』は四書のひとつであり、『礼記』は五経のひとつである。
 子思は後世に多大な影響を及ぼしており、我々は彼の著作の影響を受けた世界の上で暮らしているとも言える。
 

儒家八流の祖は同時代人ではない

 いま一度『韓非子』顕学篇を見てみよう。

世之顕学、儒・墨也。儒之所至、孔丘也。墨之所至、墨翟也。自孔子之死也、有子張之儒、有子思之儒、有顔氏之儒、有孟氏之儒、有漆雕氏之儒、有仲良氏之儒、有孫氏之儒、有楽正氏之儒。自墨子之死也、有相里氏之墨、有相夫氏之墨、有鄧陵氏之墨。故孔・墨之後、儒分為八、墨離為三、取舍相反不同、而皆自謂真孔・墨。
(意訳)世間で隆盛している学派は、儒家と墨家である。儒家のはじめは孔丘である。墨家のはじめは墨翟である。(儒家は)孔子が没したのち、子張、子思、顔氏、孟氏、漆雕氏、仲良氏、孫氏、楽正氏の分派が起こった。(墨家は)墨子が没したのち、相里氏、相夫氏、鄧陵氏の分派がおこった。ゆえに、孔子と墨子ののち、儒家はわかれて八つになり、墨家は離れて三つになり、取るとこと捨てるところはそれぞれ違って同じでなく、みな自分たちこそが真の儒家である、真の墨家であると言っている。

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