読書感想の形を借りた自分語りメモ その3


思ったことを口に出す。視界に入った気になる物の方へ寄っていく。顔を斜めにしたまま話したり。これってなあに?という好奇心。他人とは思えないほど、今の自分が共感できてしまうのが少し恐ろしくもありますが。抑圧からの解放と人格の再形成。本来の自分を取り戻す儀式なんだと前向きに捉えていきたいと思います。

 校舎になっている動かない電車に目を輝かせる主人公。歓声をあげながら走っていく子にすぐ追いついて制するお母さん。強く服を握ったまま、この電車に乗りたいんだったらどうすればいいかを説明し子は納得して返事をした。
 本人が学校をとても気に入ったというのも大きな要素ではあると思いますが、この親子が今日まで築いてきた関係性も物凄く重要で。子の特性を理解して直そうではなく活かそうとする受容、口調やどんな言葉を選んで話すか、強く服を握る等の行為で大事なことだからねと伝える。お互いの信頼関係。 困難を面白がれる。そう言ってしまうと語弊があるかも知れないけれど。ただ苦しみに耐え続ける忍耐力だけではなく、そこから面白みを見い出すような発想の転換が出来たこと。おそらくこれがこの親子には相性が良くて関係性を築けた要因の一つであったのだろうと思います。
 
 すぐ連想ゲームが始まって関連を繋げて考える癖は楽しいけど、困らせてしまう事も多々ある。近々でとてもわかりやすい説明を受けたばかりだったこともあり、この親御さんの説明の仕方に凄く合点がいった所があって。説明上手というのは、伝えたい相手の人間関係であるとか今ある知識持ってる情報等を知ったうえで、その中のものに関連付けをした伝え方をするという事なんだと、中途覚醒で日々寝不足気味な今理解することが出来ました。どうか僕自身が実践で使える日が来ますように。

 たまに木の根っこが道路のアスファルトを盛り上げて姿を露わにしているのを見かけると、自然の生命力の強さやアウトロー的な痛快さを感じてちょっと勇気をもらえることもあるのですが。なんだか最近は自然の脅威から命を守ってきた人類の戦いの歴史もあるよなとか。安全なルートで生かしてもらってる事の意味なんかを考えたりしてて。こんなこと僕が考えたってなんにもならないのはわかっているんだけど。 …でも。人も猫も犬も鳥さんも声をかけてくれる時があるし、何も喋らない木々や花々に自分の弱さを預かってもらったりしながら日々を歩いている。


令和六年 二月十三日 火曜日 (深夜とにかく書いた)

〜続く〜
https://note.com/moegi_gsan/n/nf13b4dcd2079


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