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父へ。

今日は父の日。
手紙を書こうかと思ったけども、やっぱり照れくさいので、ここに書かせてもらう。

若くして最愛の妻(私の母)を亡くし、一人娘もプチ反抗期を過ぎて無事社会人となり、じいちゃんばあちゃんを天国に見送って、やっとこれから自由な老後の人生のはずだったよね。
子どもがよく聞く「私とママどっちが好き?」という質問に、即答で母を選んだ衝撃は30年近く経った今でも覚えているけども、再婚もせず、私と祖父母に沢山の愛情をかけてくれた。

一体これからどんな人生計画を描いていたかは知らないけども、
まさか一人娘が30歳にしてよくわからん病気になって、
こうやって親子2人、自分が介助されるどころか、介助する側になって生活しているなんて思ってもみなかったろうと思う。
私もだ。


母が亡くなって、もう20年以上。
明るく負けん気だけが取り柄な娘だったから、そんなに手はかからなかったんじゃないかなと自分では思ってるんだけど、笑、いくらじいちゃんばあちゃんが一緒に居てくれたとはいえ、妻不在での仕事と子育ては、私が想像できるよりもきっとずっと、大変だったろうと思う。

自分が仕事し始めて、やっとわかった。
部活の演奏会に、運動会、三者面談、参観日、
当たり前のようにちゃんと来てくれてたけど、スケジュール調整とか、きっと大変だったよね。
そんな素振り一回も見た事ないから全然わかってなかったけど、
そういうところ、今でも凄く尊敬しているし、超カッコいいと思う。


休みの日は大体ゴルフに行ってたし、私は私で部活に遊びに塾にでほとんど家に居なかったから、
子どもの頃はあんまり話す事はなかったけど、
しっかり仕事して、あかん事した時はちゃんと叱ってくれて、二枚目かと思えばだいぶ三枚目で、ちょっと可愛いところもあって、

そんな、明るく大きな背中を見ながら育った私は、腹は立っても父自体を嫌いになった事は多分ない。


学生時代、父と2人で旅行とか言うと、周りから驚かれたりもしたけど、
洋服も音楽もインテリアも食事のセンスも、娘の私から見ても申し分なく、
かといって頑固な訳でもなく、
口数が多すぎる訳でもなく、

一方、割と色々こだわりが強めな私にとって、
一緒に居てすごく楽な存在だったりした。

今までお嫁に行きそびれている一番の原因だとも思う。笑

でも、当たり障りない会話はするけど、
あんまり腹を割った話はしてこなかったよね、

なんでも本音をぶつけるのが正しいとは、今も思わないけど。

私がこうなってから、はじめて本音でぶつかるようになったかなと思う。

病院を探して全国津々浦々、辛い思いを沢山しながら、ずっと一緒に闘ってくれた父は、もはや戦友みたいな存在。
意識朦朧としている私の側で、先生に必死に助けを求めてくれてた姿は今も鮮明に覚えてるのに、当たりどころがなかった私はひどい事を言ってしまったりもした。
許してとは言わないけど、本心じゃない事だけは伝えたい。

喧嘩や話し合いもよくするようになって、やっと父ではなく、1人の人間として見れるようになって、気づいたことも沢山ある。

今もちょっとした言い争いは日常茶飯事だけど、できれば冷静に会話をしたいので、あまり感情的にならないで欲しいと思っていたりする。



今私の一番の課題は、
父がいないと生活がままならないことだと思っている。

まだ電動車椅子が入手できていないから、玄関の改修も進まず、自分で外に出ることすらできない。
週3の通院も、父が介助してくれるからこそ行くことが出来ている。

父は自分が車椅子を押して、行きたいところがあれば車で連れて行くと言うけれども、それはあるべき姿だとは思っていない。

いくら親とはいえ、成人をとうに過ぎた娘の面倒をみる必要はない。
本来ならとうにお爺ちゃんの年齢だ。

かといって、この世に親子2人しかいないのに、あえて自分から離れてまで1人暮らしをしようとも思っていない。

今の生活が続く限り、私は私ができる事でちょっとでも父の役に立てたらいいなと思っている。

そして父がいなくても生きていけるように、色々準備もしている。

だから、父も、私のことばかりに囚われずに、
生きて欲しいのだ。


最近、「もしお父さんがいなくなっても」という話をよくするから、なんだか自分の死期が近い気がして嫌な気分!て言われるけども、笑、そうではない。

後期高齢者のわりには見た目も若いし、割とイケてると思うから、
再婚するもよし、どこかにアパート借りて羽を伸ばすもよし、海外旅行に行くもよし、
できるなら、できる範囲で好きな事もしながら、残りの人生を楽しんで欲しいのである。

私よりも真面目で几帳面で責任感強いのは知っているけども、

私は、身体はこうして不自由になったけれど、

中身は、かわっておらぬ。


相変わらず、ばあちゃん譲りで、負けん気はまだ強いのだ。



とはいえ、現状まだハード面が整ってないから、まずは電動車椅子からなんだけどね、、

そしたら介護タクシーを使うなりして、自力で通院できると思う。

今は先生も、訪問看護師さんも、ヘルパーさんだっている。

路頭に迷っていた2年前とは違う。


だからどうかもう少し安心して欲しい。


なかなか照れ臭くて言えないけれども、

割と淡白で口数の少ない娘だけれども、

これまでも、今も、


私の父でいてくれてありがとう!!

と、日々思っている。



いつもありがとう❗️❗️

大好きだぞ😘       
              萌より



P.S.
話した事ないと思うけど、
まだこうなる前に、昔のビデオデッキとビデオを引っ張り出して観てみたことがあるの、お母さんを見たくて。
でもどのビデオも、一番映っていたのは、お父さんがずーっと私を肩車か抱っこしながら話しかけてる姿だった。

当の私は何も考えずめっちゃおとんの顔をぺちぺちしていたけども、
そんなこと、ぜんぜん覚えてもいなかったけども、

こんなにも大事に育てて貰ってたんだなって改めて思って、
びっくりするくらい涙が止まらなかった。

こんなこと、直接言うとか無理だから、読んでも何事もなかったように振る舞ってもらえるとありがたい。


こんな娘ですが、

どうかこれからも
宜しくお願いします。

2021年、父の日。



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