ありのままの定義が変わった日曜日 ーDANRO Autumnに参加してー
私たちが出会えたのは
この場があたたかいのは
当たり前なんかじゃなかった……。
10月にはじまった実践型対話スクール・DANRO Autumnの最終回を迎えた今日。私の心に強く温かく残ったのは、泣いて笑ったみんなのありのままの今だった。
はじまりは木曜日
DANRO Autumnに参加するきっかけになったのは、このnoteにも書いたDANROの創業者の一人・和花さんとの対話。さまざまな話をする中で
「日曜からはじまるDANRO Autumn、行ってみない?」
という言葉に「いってきます!」とほぼ即答しての参加だった。
DANRO SCHOOLのことは前から知っていて気になっていたものの、自分でも驚くほど早い決断。「参加するなら今だろう」とすんなり心が動いていた。
「このままじゃいけない」自分への傾き
対話したのは木曜日。参加するための手続きをしていたら、日曜なんてあっという間。初回は集まったみなさんのこの場への期待や想いを聴いているうち、少しだけ不安になった。
良くも悪くも、期待を抱く前にここへ来てしまったから。
次は気を取り直して、SCHOOL専用のノートに今の気持ちを書き出してから臨んだけれど、今度は「対話を学ばなきゃ、深めなきゃ」という想いが強くなって、心のどこかに焦りが生まれていた。
私が対話という文化と出会ったのは、もう3年前。日々内省を深めているタイプなのもあり、限られた対話時間だと "自分の中で出来上がった答えをただ伝えるだけの時間" になったりして。
もっと今の自分のそのままを言葉にしたいのに
この場だけでなく、日常でも対話できるようにならなきゃいけないのに
講義内のワークや他のみんなとの対話を、純粋に楽しんでいる自分も確かにいるはず。なのに一人になると「このままじゃいけない」という気持ちの方に少しだけ傾いていた。
意味がないのは、わかり合えないを越えたいから
モヤモヤを抱えながらも、平気なふりをする私をドカンと壊してくれたのが、3回目の講義でやった「未完の行為」のワークだった。
これまでやりたくてもできなかった "未完のまま" になっていることを話す時間。私が迷わず選んだのは、亡くなった母との関係性だった。
二人組に分かれて話す時間では、涙が溢れてほとんど言葉にならなくて。でもそれをただただ優しく受けとめてもらって。
それを終えた後の全体シェアで、私の口からこぼれたのは「意味がない」という言葉。
口にしたときはじめて「あぁ私、ずっと意味ないと思っていたんだ」と腑に落ちた一方、「それ絶望的じゃん」と真っ白な雪の中でガクッと膝から崩れ落ちたような気持ちになった。
昔から今もずっと、言葉や音で表現することにこだわり続けているのは、母に「言葉にしなきゃわからない」と言われたからで。だから頑張っているのに、一番わかりあいたい人は、もういない。
だけどそれから自分なりにワークを深めたり、母への手紙を書いてみたりするうち、「意味がない」の意味が少し変わってきた。
もしかしたら、わかり合えない人とわかり合えるようにならなきゃ「意味がない」という意味だったのかもしれない。
対話に興味があって、対話ができる人とだけ話ができても、私の未完の行為は完了しないから焦っていたのかもしれない。
私はいつか、わかり合えないを越えたい。
そんな話をしたグループワークでの対話の中で、「ずっと誰かにわかってもらいたいと思っていたんだけど、本当にわかってほしかったのは自分なのかもしれない」と話してくれた人がいた。
それがしばらく心に残って。
私も、そうかも。
嫌いだと思っていた、認めたくなかった自分のことも受け入れられるようになりたい。まだわかり合えていなくて、一番わかり合いたいのは、私、なのかもしれない。
心の中の混沌を愛してみる
思えば一番最初、メンターさんとのセッションで私は、自分の心の中にある矛盾について話していた。その日メンターさんがくれたアイディアが
「『こういう想いもあるけど、実はこんなふうにも考えているんです』と、どちらもシェアしてみるのはどうだろう?」
それは私にとってかなり斬新なアイディアだった。
どうやら私は、自分の中にある感情や考えを一つにしなきゃいけないと、思い込みすぎていたらしい。3回あったセッションと講義やワークを通して、私は少しずつ私の中にいるいろんな意見に耳を傾けられるようになっていった。
私の中にはいろんなキャラクターが住んでいるから、いつも全会一致とは限らない。これまでは多数決とか、強い意見が勝っていたけれど、これからはどんな意見もまずは聴いて対話したい。
それは混沌や曖昧さを受け入れるということ。
めちゃくちゃ居心地悪いけど、まとまらないのも、どんどんわからなくなっていくことも、後退ではなく進歩だと思えるようになった。
まだまだ聴けていない話もあるけれど、改めて私って本当にややこしいし一筋縄じゃいかない。だけど、それはそれでめっちゃ面白い。
受けて立とうじゃないか。
宇宙人みたいな気持ちも
ヤンキーみたいな言葉も
聴く力、増しましになった私がぜーんぶ聴いちゃる!笑
ありのままの私とは
泣いて笑った最後の日。
みなさんからたくさん出てきたのが「ありのままの自分」という言葉だった。
私はありのままでいられているだろうか?
それは正直わからない。
だけど現段階の私はもしかしたら、いろんな声が飛び交って、てんやわんやな状態こそがありのままなのかもしれない。
毎日四方八方に心が動くし
同時にいろんな言葉が飛び交うし
人とは全然違う方向を向いていたりするけど
たぶんそれ全部、私です。
とても一つには絞りきれません。
人って誰しも一言じゃ語れないよね。
だから、自分のことも人のこともわかった気にならないでいたい。
わからないからこそ、何度も言葉を重ねたい。
対話を諦めないでいたい。
もっと "わたし" を深めた私で
未来のみんなに会いにゆけるように。
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