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白黒つかない私なので、"あわい" を表現してみようかしら

「0でも100でもない、というのが、あなたの大事なキーワードになりそうだね」

そう言ってもらえたとき、やっと自分が立っている場所をスッと受け入れられたような気がした。

世界は2択で溢れている。

会社員か、自営業か
結婚するか、しないか
動くか、考えるか

本当は混じり気のない白も黒もなくて、そんなグラデーションを多様性と呼ぶのだろうけど、その多様性にすら2択が生じたりする。

多様性のわかる今どきな人か
多様性を受け入れない古い考えの人か

これは「多様性を受け入れること=善」と捉えたような見方だけど、逆もあるかもしれない。

多様性、多様性って言い過ぎ……とか


数年前「HSP」という言葉が話題になった。私も少なからず当てはまる特徴があるから、その言葉を見たときは「私だけじゃないんだ」と、少し救われた。

でも最近では「自称HSP」なんて表現も聞くくらい、いい印象を持っている人ばかりではないみたい。

言葉自体にいいも悪いもなくて、もともとは一部の特徴を示す印でしかなかったはずなのに。

「HSP」という言葉を使って、周りに過剰な気遣いを要求してしまう人も、中にはいるのかもしれない。でも一方で、真剣に悩み、傷ついている人だっているはず。

善か悪かで判断してしまったら、そういう人たちはきっとこぼれ落ちてしまう。


真っ白に見える世界にグラデーションを作るためにと、主張されるのはたいてい真っ黒な意見で。

たちまちはじまった争いを見るたび、「本当はどんな色もあっていいよねって、言いたかったんじゃないっけ……」と、悲しくなる。

先日最終回を迎えたドラマ「9ボーダー」に、こんなセリフがあった。

「じゃあ、間を考えない?0か1だけじゃない、その間。(中略)いろんな選択肢があって、そのどれも選べる。そういう自由を選べるのが大人じゃない?」

ああ、そうだな。
私はそうありたい。

昔はどっちつかずの自分を「中途半端だ」と、否定していた。今でもそういう気持ちがないわけじゃない。

でもずっとどっちつかずで
"間(あわい)" を漂ってきた私だから
見える世界だってあるんじゃないだろうか

言えることがあるんじゃないか

白か黒かじゃないと、メッセージ性なんか生まれないと、ライブ活動をしているときは何度も悩んだ。

でも、グラデーションが濃くなっていく今の世界で、"あわい" が生み出す表現だって、柔らかな力があるんじゃないかな?


だから私、これからはもうちょっと胸を張って、"あわい" を表現してみようかしら

"あわい" を生きるひとたちが
こぼれ落ちてしまわぬように



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