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世界は人が形作っているから、どんな世界だって…

大学1年生のとき、できたばかりの音楽サークルに入った。

最初は人数も少なかったし、発表の機会も少なかったけれど。「まぁ、別に集まらなくていいんだけどね」と言いながら、なんとなく集まってギターを弾き、帰りになんとなく食堂でごはんを食べる……あのひとテーブルに収まる感じが好きだった。

次の年になると、メンバーは倍以上に。活気も出て楽しさも増えた反面、好きな場所が好きでなくなっていくような感覚が怖かった。

その違和感はなぜ生まれたのか
最近ようやくわかってきた気がする。

"場所" は "人" がつくるものだからだ。

あれから私は何度か、あの違和感を経験している。

好きだった場所の居心地がいつの間にか悪くなって、でもそれを受け入れられなくって。なんでだろう、好きでいたいのに、と嘆く。

でも変化するのは、どうにも止められないのだろう。
何も変わらない場所なんて、ないのだから。

人って誰しも、何かしら目に見えない波を持っているような気がする。人が集まると、その波が混じり合って、その瞬間のその人たちにしか生み出せない空気が生まれる。

だからそもそも、その場の雰囲気や居心地なんて、誰が集まるかであっという間に変わるし、同じ人同士でも明日も同じになることなんてない。

同じ人とおしゃべりしていても、盛り上がる日もあればそうでない日もあるように。

サークル、コミュニティ、組織……。
それらを「好き」と呼ぶには、定義が曖昧すぎるのかもしれない。

もっと正確に言うなら、誰々と過ごす時間が好きとか、〇〇部長が引っ張っているチームは好きとか。そうやって条件が絞った方が、認識しやすいのかもしれないね。

たとえばサークルで行った、とある飲み会の雰囲気が苦手だったとして、それだけで「サークルが嫌い」と思うのはもったいない気がする。だって好きな人も、好きな時間もちゃんとあるのだから。

主語って気をつけないと、すぐ大きくなる。

やっぱりこの「組織」に合わない、こんな「コミュニティ」じゃなかったのに、この「世界」じゃ生きていけない……。

本当にそうだろうか?
私が心地よく生きていける世界は
本当にない……?

たとえなくたって、きっとつくれるよ。
世界の最小単位は「わたし」なのだから。

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