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「学ばないとダメ」という呪いが、ひゅるると薄れた日

きちんと学ばないと、やってはいけない

そんな呪いが、私の中にはある。

「歌を作りたい」と思っていた10代の頃も「音楽理論を学ばないと作れない」と思っていたし、対話のサービスを始めようとしても「心理学を学ばないと」と考えてしまう。

この前「5日間でエステの基礎が学べます」というチラシを見て、「とりあえず受けてみた方がいいかな」なんてよぎった。

一度もエステティシャンに興味を持ったことなんてないのに。

それくらい「資格が取れる」「一生物の知識が学べる」という謳い文句を見かけると、無条件に反応してしまう。多くを知らない自分が、とんでもなく無力に思えるから、だろうか。

昔から本のある空間は好きだけれど、どこまでも続く本棚を見るとよく途方に暮れそうになった。

ここにある知識は世界のほんの一部なのに
それすら読み切ることができないなんて

でも今日、ふと経営に関するとある理論の説明を見かけたとき、なぜか急に肩の力が抜ける感覚があった。

経済学も心理学も、あらゆる学問も、未だに世界のどこかで誰かが、答えを探し続けてくれているんだ。

そういう見方をしてみると、「これからどうやって生きていけばいいだろう」とあーでもないこーでもないを繰り返している私と、同志だとさえ思えてきた。

そうだった。

この世界のどこにも、確かな答えなんてない。
あるのは確からしい推論だけ。

それならそもそも「きちんと学ぶ」ってなんなんだろう?……行動を阻む、言い訳の一つに過ぎなかったのかもしれない。

改めて「世の中に溢れる知識とどう向き合っていくか」を考えたとき、ふと『葬送のフリーレン』という漫画のワンシーンが浮かんだ。

世界のあらゆる魔法を知っている数千年生きた大魔法使いが、試験に受かると一つだけ好きな魔法を授けてくれる。

その中には、人間の寿命では習得できないほどの魔法もあって、まるで人類が長い歴史をかけて培ってきたあらゆる学問のようだと思った。

きっと私がこの短い寿命の中で、自ら見い出せるものなんてほんのわずかしかないだろう。だからこそ、いろんな人が一生懸命見つけてくれた理論や法則にも頼ってみる。

学ぶってそんな感じでいいのかもしれない。

小学生のとき、新しい何かを知れば知るほど、自分の世界がどんどん広がっていくようで楽しかった。

資格や知識がなくても、私は私。

ただ、この人生をもっと楽しむための学びは、これからも続けていきたい。

これまでひたすら追求し続けてくれた先人たちに、感謝と敬意を持って。


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