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その選択はきっと、未来の自分が「最善」に変えてくれる

「あ、note書くの忘れてた」

日曜の夜9時過ぎ。1年続けた毎日更新は終えたけれど、「せっかく70週近く続けたから」と毎週更新だけはゆるりと続けていて。

今日書かないと、それが途絶えてしまうのだ。

時間がないし、2日前に書きかけた下書きを完成させてしまおうかとも思ったけれど、どうも気が乗らない。たった2日なのに、もう想いが変化しているらしい。

「人生を点で捉える」という考え方を知ったのは、たしかアドラー心理学の本を読んだときだった。当時はピンと来なかったけど、最近そうかもしれないと感じるようになっている。

今日の自分は、昨日の自分とはもう違う。

だからといって、私は昨日の自分を他人だとは思わない。点の積み重ねが紡ぎ出す「線」も好きだから。

半年や1年を振り返ってノートに言葉を並べてみると、必ず感謝の気持ちが溢れ出す。

あの点もその点もあったから
山あり谷あり
こんなにも素晴らしい物語が生まれたんだ

「後悔しないように、前向きに生きよう」

ある日突然思い立って、中学生の私は自分なりに思考改革を始めた。「あのとき、あーすれば」という思考が生まれたらすぐ、「いやでもあれがあったから」と切り替える。

不器用ながらも画期的な改革のおかげで、今があるとも思う。

だけど「後悔しないような選択を」という想いが、少しずつ行動の軽やかさを奪っていると気づいたのがここ数年のこと。

「未来の私が悲しまないように」

まだ起きてもいないことを、頭のリソースをどんどん割いて考えるようになってしまっていた。

事前に入念なリサーチをしないと、どこにも行けない。それは私が望んでいたことだっけ……?

数年かけて、自分との関係性を見つめ直してきたおかげか、数日前にふとこんな言葉が降りてきた。

「未来の自分を信じてみてもいいんじゃない?」

いつだって私は、過去の点を素敵な線に変えてきた。だから今から、どんな点が出てきても大丈夫。未来の私がいい感じに調理してくれるはず。

そう思うと、決断するためにぐっと入っていた力がふわっと緩んだ。

後悔しないように、は素敵な心がけだけど、バランスが偏りすぎたときは、自分に一声かけて飛び込んでみよう。

私は未来のあなたを信じているよ



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