生きるって、そのことだ(アイドルと私)

人に話すと少しびっくりされてしまいますが、「推し活」全盛のこの時代、私にも推しのアイドルがいる、という話でも、今日はしようと思います。それも、同性である女の子たちによるアイドルです。

フィロのスとの出会い

2018年3月、夜遅くに音楽番組で紹介されていたアイドルたちの中の一組に、私はすぐに夢中になってしまいました。それは、「フィロソフィーのダンス」という、当時女の子4人組のグループです。今までアイドルにはさっぱりハマることのなかった私が、細々とパートで事務員をしたお給料で、ライブを観に通うことになりました。

なぜハマったのか。大前提として、歌う曲歌う曲が圧倒的にすばらしいということがありました。当時、フィロソフィーのダンス(以下フィロのス)の作曲を担当していたのは、若き作曲家、宮野弦士さん。古き良き洋楽のようなサウンドは、音楽好きを魅了し、今までアイドルのライブに足を運んだことのないような層さえも、夢中になっていました。その魅力は、代表作の「ダンス・ファウンダー」から特に伝わると思いますので、下に動画を貼っておきます。

また、当時作詞を担当していたヤマモトショウさんによる、哲学的な歌詞も魅力のひとつでした。「エポケー」や「アンチノミー」など、おそらく哲学を語る際に使われるのであろうカタカナ用語がふんだんに出てきていました。アイドルの歌というと、「放課後、隣のクラスの男子にラブレターを渡すことに成功した」というようなものが多いのでは、と私は正直、勝手に思っていましたが、フィロのスの歌詞は普遍的な内容のものが多いのです。

歌詞が難しいあまりに、正直なところよくわかっていないことも多いのですが、私がフィロのスを観て、聴いて感じていることをざっくりと、とても短く乱暴にまとめてしまうと、「人生はすばらしく、そこには音楽と愛が必要だ」ということです。彼女たちの歌や踊りというパフォーマンスは、いつも、ポジティブなエネルギーであふれています。

車内でライブ・ライフを流して、泣いた夜

昨年12月2日に、初めての主催公演となった「第1回サロンコンサート 樹の詩」の前日に、外出から帰宅した家の前の駐車場で、「ライブ・ライフ」というフィロのスの曲をかけて、ひとり車内で号泣したことを覚えています。この曲は、音楽を通して聴き手に愛を与え、そうして生きてゆく彼女たちの決意表明のように聴こえるのです。特に、以下に歌詞を引用したサビの部分で、涙が止まりませんでした。

hey hey!
愛でからだ揺らす
ここでなら誰でも
このビートもこのメロディも前に進むだけ!
いまは
live life!
愛を歌わせて
生きる、ってそのことだ
一緒にいこう? この瞬間を愛でうめるミュージック!

彼女たちのライブは、来た人をとにかく楽しませよう、という強いパワーに満ちています。私がその夜に「ライブ・ライフ」を聴いて強く思ったことは、私のオーボエを聴きに来てくれる人たちみんなを、絶対に楽しませる、ということでした。それこそが私が、今生きているということ、そしてこれから生きてゆくということと密接につながっているのだろう、と。結果、そういった強い意志を持って臨んだ「樹の詩」に来てくださったお客さまは、とても満足して帰ってゆかれました。音楽を届けながら生きてゆけて、それで喜んでいただける環境にいられることは、今も涙が出るぐらい嬉しいことです。

ステージの上で全力で歌い、ファンの声援に応えながら踊り、終演後はファンとの交流の場である特典会(握手会)にも200%の笑顔で取り組む。いつもTwitterでエゴサーチを欠かさず、ファンのツイートに「いいね」して喜ばせる。そんな彼女たちの並々ならぬ努力を知ったのも、自分もできる範囲でできるだけ行ってみようと思ったのも、アイドル・オタクになったからでした。

人生に無駄な経験は何ひとつない、と私は信じていて、それは中学時代、念願のトランペットパートで吹奏楽コンクールに出場することができず、人数の少ない打楽器パートに突然回されてしまい、毎日家に帰って泣いていた夏に、母が言ってくれた言葉でした。自分の中の音楽が枯れていた期間にフィロのスに出会ったことは、無駄でもなんでもなく、私の中で大きな根幹となりました。

結婚して生活が変わり、昔のようにふらりとライブに行くことはなかなか難しくなってしまいましたが、フィロのスから学んだことを生かして、これからも音楽を届けてゆきたい、と思うのです。


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