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ギャルブランドの消滅とコミュニケーション

ブログを書くこと自体がかなり久々な気がしますので
うまく伝わるように書けるか自信ないですがw
最近起きた出来事についての考察をシェアしたいと思います。

そうだそれと、Twitterに鍵を掛けました。
音楽関係ないところからの閲覧を避けるためですので、フォロー申請はバンギャちゃん限定でお願いします。笑
いつだったかの記事、、キズの最後の記事かな。。?に書いたかと思うんですが
ブログに限らずあらゆるコミュニティーの有料化及び会員制の普及というのが
始まっている気がしますよね。
不特定多数の人に無料で提供していた情報も、今後は特定の人しか閲覧できない形態に変化してゆくと思われます。

さて本題ですが、
10日以上前のトピックですので鮮度が低くてすみません、更にこの数日前にも衝撃的な事件がありましたが
その件にも触れたいと思いますので、最後までお読み頂ければ幸いです。

まず7/20、私の心を揺るがせたニュースはこれでした。

CECILも時代に合わせて商材傾向の改新を行っているので、今の20代の人から見ると、CECILは普通の服なんでしょうけれど

全盛期のCECILはギャル服(というかお水服)の頂点を極めていたと言っても過言でないほど派手な印象の強いブランドでした。
ピグメントやグラインダー加工のTシャツや、ラインストーンを敷き詰めたスカルプリントのオフショルTワンピなんかもあったんですよ?笑

「ブログ」というものが登場して、私が最初に書いていたAmebaでは
しょっちゅう徹夜をしていた旨を記事に盛り込んでいましたが
その多くはここの仕事をするためでした。

商談に行くと、ホストのような出で立ちの役職の方やアゲ嬢みたいなバイヤーの女の子が部下を怒鳴りつけていてw緊迫した雰囲気の中で頂くオーダーは1型につき20000枚という
今ではとても考えられない発注数でした。
それもそのはず、当時渋谷109の2階の敷地のほとんどがCECIL McBEE
競合を見ても日々の売り上げは多店舗と一桁違っていました。

ファッション業界の倒産や店舗閉鎖も始まりますよとかいう淡々とした記事を書いておきながらも
まさかギャル服のそれがCECILから始まるとは思っていなかったので
好きなバンドの解散発表と同じくらいショックで凹んでしまいましたw

ジャパンイマジネーションと社名が変更される以前のことで旧石器時代の古い話になりますが
同社ブランド「スパイク」というチェケラッチョなショップで販売員をしていたこともありました。
30代になる頃の私はhideさんに命を救われたとよく書いていますが、そうだとするならば10代の私は、派手なファッションに救われ何とか生きてきたと言えます。
なのでまず何故ギャル服屋の販売員になったのかという話をしますね。

今考えると、これが私の中での自己肯定感というものだったのだろうと思うのです。
中高生の頃は、真面目と派手で枠組みをするなら明らかに派手で素業の宜しくない生徒ではあったんですが、
皆さまご周知の通りの親元で育ったため、自分の意見を主張することが怖かったんですよね。
そもそも人に対して「怒る」ということがほとんどなく、友達に彼氏を寝取られたらこれって怒っていいこと?と別の友達に確認したりしていたほど、感情が鈍磨していました。
イキっているように見えて、仲の良い友達は絶対に怒らせないように細心の注意を払って接していたというのが本音でした。
そんな私が、制服のまま横浜のジョイナス地下にあった「R.A.M」 私の名前じゃないよ(笑)ロッキーアメリカンマーケット(近年はドレス屋になってたけどもwウエスタンブーツが豊富でかなり露出の激しいギャル服屋だった)というお店に買い物に行った時、何食べてんのと思うくらい細いスタッフのお姉さんと仲良くなって、着なくなった服を個人的に安く売ってもらったことがありました。笑

そしたら着こなせなくて(笑)(笑)
髪型やメイクを勉強して、肌を焼いて、3年生になる頃には深いスリットのロンスカやへそ出しのチューブトップを着ても、どうにか様になるようになりました。
あの時憧れたあのお姉さんのように、なれた。と
鏡を見て思いました。
そうしたら、言いたいことが言えるようになったんですよね。
誰にでも。
好きな人の前でも、かっこいい私なら誰にも馬鹿にされないし、笑われない、攻撃されないという自信が沸いてきました。

結果的に言うと、これだと自分を認めるのに条件がありますから
続けるとどんどん苦しくなっていってしまい、病気という臨界点を迎えたわけなんですが

当時の私にとって、派手な服を着こなすことは
自分が言いたいことを言う、したいことをする、最強のツールだったように思います。
恐らく、私のような若者はとても多かったと思うんですね。

信じられないくらい長くなりましたが(笑)
「自分」を否定される環境に育った私は、ギャル服に救われて20代を生き抜いてきました。
当時のCECILはまだスーツ屋だったので着ることはありませんでしたが
あの時のお姉さんを見た私のように、こんな風になりたいと憧れて
努力した女の子が、自分の言いたいことを言えるようになれればいいなと
思って、ショップ販売員という職を選んだのを覚えています。
その後はデザイナーという、外に出ない職種に変更しましたが
ギャル服の象徴である渋谷109、そしてCECIL McBEEは、あの頃の私を生かしてくれていた大切な自分の一部だったように思います。

まだ書くのかよというくらい長くなりますけどもねw、
ALBA ROSAやロコネイルも無いに等しく、安室ちゃんもいない今、CECILがなくなってしまうのが本当に寂しくて
ファッション、外側の時代の終焉と、心の時代の始まりを静かに感じています。
これは決して、悪いことではありません。
とても前向きな転換期であることは確かです。

現代の”ギャル”の概念は、きっと当時とは違うと思います。
携帯メールというツールができ始めたばかりだった時代背景ゆえ
リアルなコミュニケーションをしてこそのギャル。対面で何がどれだけ言えるか。
大切なことは相手の顔を見て、エネルギーを感じながら、直に伝えるのです。
それには、画面越しのコミュニケーションとは比べ物にならない勇気が要りました。
だから、喧嘩にもなったし、弱い姿を見せてしまうこともあった、
男の子たちはすぐ暴力沙汰になって謹慎になったり停学になったり。
だけど、言いたいことを顔を見て言えたんですよね。
嫌なことがあったら、自分の友達に話します。そして共感してもらって、味方してもらって、安心するんですね。味方がいてくれることに。

”今の若い子”という表現を使うとdisられそうですけど、、
子供の頃から、顔を見ないでコミュニケーションが取れました。
そうすると、本心が読み取れないんですよね。
嘘がつけるわけです。
嫌なことがあったら、人に話さなくても画面の向こうにぶちまけることができる時代になりました。
そうしたら、友達いなくても生きていけます。
ネット上の友達が味方してくれたり、慰めてくれたりするかもしれません。
そうゆう意味では、とても素敵な環境になったと言えます。


先日、テレビを見ない私でも知っている俳優さんが亡くなりました。
また誹謗中傷による精神崩壊も社会問題となっています。

”死にたい”と、極限の状態に陥った時には、
画面の向こう側の言葉では、救えないのだろうなと、思うのです。
こればかりは、人の体温が必要なのかもしれません。
報道では「誰か話せる人はいなかったのか」とかって決まり文句のように言いますが
誰にも見せられない自分がいるから、死の局面まで追い詰められてしまうんですよね。
人生で最初に接する家族に対して、本当の自分を見せることができなかったからです。決して、問題のある家庭ではなくても、多くの家庭が同じ問題を水面下に抱えています。
よい、家族なのですよ。
だから、誰にも本音を言えないし、弱味を見せられないのです。
本当の弱い自分の姿に対して、周囲が自分に抱いているイメージとの差が開けば開くほど
生きることが苦しくなってきます。

これについては改めて書こうと思いますが
人が極限状態に陥った時に救えるのは、恐らく人の体温です。それ以外にないかもしれない。
そして、画面の向こうの誰かを中傷するのは、腹を割って全てを話せるリアルな人物がいないからです。

ウイルスパニックによるソーシャルディスタンスが常識化する中、画面越しのコミュニケーションはより普及し、これから更に遠隔でのやり取りが主流になると思いますし
それは良いことであると思うのです。
そうだとするのなら、90年代の渋谷のようなスキンシップを
意識して作っていくことも、大切なのだろうと思います。

あなたの大切な人を、抱き締めてみてください。
それだけで、命を絶つことへの決意が少しだけ揺るぎますし
画面の向こうの誰かを叩くエネルギーも消滅します。




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